昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

シオラン

 シオランを最初に知ったのは2004年で池袋西武にリブロがあったころです。数年前に店舗が無くなりました。


 立ち読みして買ったのは『絶望のきわみで』です。それから一週間後に『思想の黄昏』を買いました。記憶はないのですが、本にはさんであるレシートの日付がそうなっていました。


 『思想の黄昏』は屈折した詩的文体で書かれた断章を集めたものです。いわゆる名言集などとは全く逆な感じを受けます。だからといって悪魔の辞典のようなものではありません。
 短いものを数篇挙げてみます。


 
 沈黙に耳を傾け、沈黙と孤独を観想するーー聖者たちのヒステリーの源泉はこれ以外にはあり得ない。だが、時間の内部の動悸、時間の波のなかでの意識の喪失は?世俗的ヒステリーの源泉・・・・・



 時間は海の形而上学的代用品だ。私たちが時間に思いをいたすのは、もっぱらノスタルジーを克服するためだ。



 生涯、明晰を貫き通す人間は、絶望の古典作家となる。



 生は、蝶の自殺のように、精妙にして陰鬱なものだ。



 メランコリーは、エゴイズムの理想の状態だ。


 
 私たちは誰かある人に対してではなく、おのれ自身に対してつねに孤独なのだ。



 私たちは逆説を、くしゃみと同じように説明できない。しかし、逆説は精神のくしゃみではないか。



 人を退屈させる人間は、退屈することのできぬ人間だ。



 死にたいと思わなかったならば、私は心臓があることに決して気づかなかったであろう。
 


 妻が亡くなって落ち込んでいるときにこの本で少し気が安らいだ記憶があります。
 シオランはルーマニアの人ですが祖国を去りパリに定住しました。ルーマニア語で書かれた本とフランス語で書かれた本がありますが、『思想の黄昏』はルーマニア語で書かれました。ですが、本書はフランス語に翻訳したものを仏文学者の金井裕が訳出したものです。

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