ヒッピーになろう
妹は9歳のころ大きくなったらヒッピーになろうと考えていました。昭和35年(1960年)生まれですが、68~70年ごろの新宿東口にたむろしている若者や西口のフォークゲリラをテレビで見てヒッピーしかないと思ったらしいです。
70年代半ば、妹はだぶだぶのカーペンタージーンズをサスペンダーで補強し穿いて下北沢の街を闊歩しました。中学生でも童顔なので3歳ぐらい若く見えます。カーペンタージーンズは細野晴臣のファッションを雑誌とかで見てぼくが買ったジーパンです。ちょっと脱色して、好みの染料を熱湯に溶かし、大きい鍋で煮て染めたものです。
一度脱色したものはなかなか着色できないものです。何度かやってるうちにまだらのグレーがかった作業ズボンみたいになりました。
妹はそのグレーの作業ズボンみたいなジーパンを穿いて下北の商店街を歩いてきました。ふり返って見る人もいたそうです。
70年代ですからヒッピーには遅きに失した感がありましたが、9歳のころからの念願があったのだろうと思います。
街角に貼ってある指名手配の爆弾犯人のポスターを見て兄貴のぼくに似ていると思ったらしく、そうでなくても毎晩どこかの集会に参加しているんだろうと疑っていたそうですから、子どもの妄想は底知れないです。ぼくなどは単に喫茶店で駄弁ったり飲み屋をハシゴしていただけですからね^^;
一昨年、妹も50代半ばを迎えて初めてヒッピーの件を知った次第です。