小唄を聴きながら
世田谷に住んでいたころ、小唄を好んで聴いていた時期がありました。
小石川図書館で見つけた春日とよのレコードを聴いてずいぶんシブい世界があるもんだと驚いたものです。
小唄といっても粋とかそういうことよりも渋みが強い傾向です。心にジンジンと響きました。
三味線は自ら弾いたものもあったかもしれませんが、弟子の人が弾いてるのが多かったかもしれません。
弟子といっても師匠クラスの大御所ばかりです。三味線はシャンシャン鳴らすのではなく、ツンツンテンと地味に弾かれます。
江戸小唄 「雪はしんしん・明日はお立ちか」 (春日とよ)
↑ 比較的若いころらしく声が高め
LPをカセットにダビングして、ウォークマンで聴きながら自転車で笹塚、幡ヶ谷の人もめったに歩かないような細い路地を行きました。危ないので数年前からそういうことはしなくなりましたが、昭和から平成にかけて小唄を聴きながら人のいない路地を行ったりして侘しくて変に落ち着いた気分に浸っていました。
ドラマ「芸者小春の華麗な冒険」で道楽者の常務役の俳優中条静夫のセリフに「何が悲しくてババア(ここでは歳のいった芸者のこと)の三味線聴くんだと思う?」というのがあります。
答えは確か、心意気と情だったと思います。向島の花柳界を舞台に、バブルで失われつつあった下町の心意気に喪失感を抱いた中年層の象徴的な心の叫び、だったのです。
中条静夫の息子世代のぼくらにも何となく半分ぐらいは分かる気持ちです。
ぼくの場合は世田谷に引っ込んで寂しい気分でしたので早く都心に戻りたい、それが港区でなくても新宿区でも文京区でも浅草でも向島でもいいと思ったものです。
「芸者小春」の舞台は向島です。春日とよは浅草(花川戸)です。隅田川を挟んで向うとこちら、毎日隅田川を眺めながら暮らすのも乙だなぁと思っていました。