昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

小石川 牛込

 昔の少年雑誌には漫画家の先生にお便りを出そう!なんてことがページの端に書いてありました。ファンレターですね。
 漫画家の住所まで書いてありました。何となく練馬区とか豊島区が多かったような印象があります。


 それと少年雑誌の出版社へハガキを出す場合、小石川局区内とか牛込局区内とか多かった気がします。
 今でも小石川の一部、旧牛込地域には出版社というか印刷工場が多いですね。少年マガジンの講談社は文京区音羽ですから昔から小石川局区内だったんでしょうか。


 前も書いたかもしれませんが、旺文社の座談会に出かけたことがあります。昭和42年ごろでした。市ヶ谷の駅からけっこう歩きました。
 今で言うところの牛込中央通りを上り牛込北町の交差点を越してさらに若干上り坂になります。狭い歩道を抜けると旺文社はありました。
 向かい側には東映動画が現在ありますが、当時あったかどうかは確認できません。


 旺文社の座談会には赤坂(丹後町)のIさんと当時練馬在住のKクンが一緒でした。戦争マンガがどうの少女マンガがどうのとか話した覚えがあります。記念のボールペンはもらったのかもらわなかったのか思い出せません。


 今なら判ります。旺文社の先は新潮社があります。矢来町です。東西線の「神楽坂」駅ができるまでは陸の孤島と呼ばれていたそうです。 
 矢来町なら神楽坂と言ったほうがわかりやすいと思います。
 隣接する横寺町には尾崎紅葉旧居跡とか、南榎町でしたか泉鏡花旧居跡がありますね。

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