昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

五山文学について

 五山文学とういうのがあります。絶海中津(ぜっかいちゅうしん:1336-1405)、義堂周信(ぎどうしゅうしん:1325-1388)、虎関師錬(こかんしれん:1278-1346)、雪村友梅(せっそんゆうばい:1290-1346)、寂室元光(じゃくしつげんこう:1290-1367)、別源円旨(べつげんえんし:1294-1364)、中巌円月(ちゅうがんえんげつ:1300-1375)、愚中周及(ぐちゅうしゅうきゅう:1323-1409)、古剣妙快(こけんみょうかい:生歿年未詳)というような禅のお坊さんたちの漢詩文の総称です。
 この禅僧たちは室町中期、いわゆる五山十刹(じっせつ)の官寺に属する人です。


 名前がごつくてぼくなどは月光仮面の「幽霊党の逆襲」を想起します。竹林賢法(たけばやしけんぽう)や鷹ノ羽道寛(たかのはどうかん)といった心霊術師が悪党の統領だったのですが、それにも匹敵するような只者ではない雰囲気の名前がずらっと並んでいます。


 彼らは大ざっぱに言って1300年前後に生まれた人たちです。道元は1200年生まれですから接触はないと思います。


 五山文学の中でも義堂周信と絶海中津が双璧を成すわけですが、学者の界隈では絶海中津が実質優れているという見解が通説です。

 ぼくは最初義堂周信のほうが肌に合うと感じていました。周信は平家で中津は藤原家なので漢詩文の肌合いが違います。ですが、実際漢詩から書き下し文を読んでみるとやはり中津のほうが詩として優れていると感じるようになりました。


 二人は外見もすごく似ています。

義堂周信(左)絶海中津(右)

 と言ってもこの銅像は作った人のキャラ作りなのかもしれないw漫画家でも似たキャラクターがあるものです。右側の絶海中津のほうが若干精悍な感じがします。
 個々で見たらだいぶ違うのかもしれません。

義堂周信

絶海中津

 こうやって見るとだいぶ印象が違います。


 中国の宋の詩僧は「蔬筍の気」を含んだ詩句を詠みました。これはもっと深い意味合いがあるようですが、言い換えれば「酸饀の気」がないことの意味を含みます。つまり僧侶臭さがないということです。


 日本語で現代訳すると抹香臭さがないということになります。


 蔬荀の気=蔬菜やたけのこのみ食ひ居る氣。すなわち僧侶の氣。
 酸饀の気=僧侶の食べる野菜入りの酸っぱいマントウの匂い。


 一読すると矛盾しているような表現ですが、清麗脱俗の体を成しているように見えて、単に酸饀の気がないだけである、という蘇東坡の皮肉めいた評論だったようです。


 日本の五山文学においては二分されました。抹香臭さを残すタイプ、全く僧侶臭さがないタイプと大きく分かれていきました。


 そのことの中身に関しては読み進めて感じ取れればいいなと思っています。



            (参考:岩波書店)

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