貧甚だし 戯れに絶句を作る 宮沢雲山
宮沢雲山は安永九年武蔵国秩父に生まれました。現在は埼玉県にあたります。
文化十二年に雲山は北遊から戻って江戸に出ました。北原秦里、梁川星巌と共に『今四家絶句』を選輯(せんしふ)しました。
今四家とは市河寛斎、大窪詩仏、菊池五山、柏木如亭のことです。雲山は寛斎の門下です。
梁川星巌は西遊するに際し七絶を雲山に送りました。一方で雲山も上州や信州に旅に出ましたが、旅の途中で七絶を詠みました。
貧甚戯作絶句 貧甚だし、戯れに絶句を作る
蘇家破硯旧靑氈 蘇家(そけ)の破硯(はけん) 旧青氈(きゅうせいせん)
雷氏枯桐也可憐 雷氏の枯桐(こどう) 也(ま)た憐れむ可し
昨日饑駆留不得 昨日 饑(うえ)に駆られて留め得ず
博来還是紙包銭 博し来たるは還って是れ紙包銭(しほうせん)
破硯
靑氈
枯桐
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饑=ひだる、疲れて力が入らなくなる
書を書く破硯、青氈も、また憂を散ずる琴も、饑に迫られて紙包銭に換えたといって、自ら憐れんでいたわけです。
雲山は月琴を弾いたので旅中にも月琴を背負っていたのです。
月琴
(参考:平凡社)