昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

じゅん&ネネ

 昭和43年の中2のころクラス会がありました。
  ぼくはクラスメイトのAクンとSクンとで芝居をやることを決めました。台本を作ってさあ本番というときにSクンが俺やっぱりやめとくよと言ってきました。


 Sクンの家は新宿区にあってまだ売れる前の西郷輝彦が下宿していたことがあったそうです。Sクンによるとあそこが超デカい、ということです。


 仕方なくAクンと二人で芝居をやりました。内容は覚えていないですが、ぼくは浴衣か寝間着を着て胡坐をかいてセリフを言っていたのは覚えています。


 芝居の後はAクンとじゅん&ネネのものまねをしました。Aクンがじゅんでぼくがネネです。
 ヒットした「愛するってこわい」を歌うつもりでした。女装の準備として家で事情を説明して母にブラウスとスカートとパンストを借りました。



◎愛するってこわい~じゅん&ネネ



 いざ本番で歌う段になって全然歌詞が出てこなかったです。考えてみれば一度も音合わせしていませんし、歌詞も確認していません。
 ヘラヘラ笑いながら振付をし、Aクンのほうを見ているだけでした。
 女装してクラスのみんなを驚かせてやろう、ぐらいの軽いノリだったのです。浅はかでした。

 担任は石部金吉に譬えられるぐらいの堅物でした。

下北沢 39円スナック

 ちょっと遡って昭和51年ごろです。下北沢に39円スナックというのがありました。確かふつうのスナックだったのが、店が変わってワンドリンクお通し付きで39円になったと思います。
 スナックといっても女の子もいなくてバイトかなんかの店番みたいのがいて、ぺったんこのソファに薄暗い店内で大人しく飲む客が多かったです。2階なのでちょっと目立たないところでした。


 友人Oと昼間喫茶店で暇をつぶして話し足りないときに、このスナックを利用したことがあります。アルコールがちょっと入っただけでも、酔ってしまうOはグラスに水割りが残っているのに、ソファにもたれてぐったりしていました。生きてるだけで苦痛だ、といつもの口癖が始まりました。
 ぼくが彼の首を絞める真似をすると、そのまま絞めてくれよ死んでもいいんだから、と言います。
 すぐ飽きてジュークボックスで曲を掛けました。ここの売りはジュークボックスがあることです。「ルージュの伝言」とか掛けました。100円で2曲掛けられました。


 別の日、知り合いの女性Aさんと下北を散歩して夜遅くなったので39円スナックに入りました。Aさんとは二人きりでお茶した覚えもなく、そんなに親しくありませんでした。ですが、そのときはソファに二人並んで通りを見下ろす窓に向かって腰かけました。
 水割りを2、3杯飲んでAさんは酔ったのかぼくの肩に頭を乗せてきました。ぼくは平静を装い恋人気分を楽しみました。もう終電は過ぎていました。ふつうだったら店を出て云々、です。南口の忠実屋の脇道を行くと温泉マークがありました。


 結局、彼女はタイプじゃなかったのです。遠慮させてもらいました。39円スナックを出て明け方まで歩きました。
 気づいたら「幡ヶ谷」駅にたどり着いていました。始発がもう走っていましたので、京王線で「明大前」までいっしょに乗りました。井の頭線に乗り換えて彼女は吉祥寺方面、ぼくは下北沢方面に乗ってお別れしました。

カメラマン

 昭和54年ごろだと思います。カメラマンをやりました。ギャラはもらえますが、アマチュアでもできる仕事です。結婚式の挙式、披露宴をずーっと廻ってスナップ撮影するのです。36枚撮りフィルムをだいたい3本撮ります。
 注文してくれるかどうか判らない状態で、撮るだけ撮ってネガのベタ焼きを送ります。もちろん撮影前に許可は取るのですが、挙式当日のてんやわんやの中、親族に撮影の許可を得ます。焼きつけ注文は希望の場合のみと断りを入れます。ですがベタ焼きを見せられると焼き増しや引き伸ばしの注文をしたくなるのが常です。


 カメラは自前が基本ですが、事務所に借りる場合もあったようです。ぼくはニコマートに35ミリレンズを付けてストロボも自前でした。フィルムは事務所に取りに行ったか立て替えたか忘れましたけど、実費はもらえたと思います。
 当時は色がよいとされるASA100の、コダックだったと思いますが、ネガカラーフィルムを使ってストロボを焚くのです。金屏風の前では反射があるのでそれをキャッチして光量が減るらしく、一絞り開けました。
 普段はシャッタースピード125で絞りは5.6ぐらいでした。金屏風の前だと4ぐらいにします。それでも遠い被写体の場合シャッタースピードを60に下げた記憶があります。


 つまりほとんど固定ですからアマチュアでもOKなわけです。ピントは35ミリレンズだとそんなに神経質にならなくて済んだと思います。シャッターチャンスは一応決められていて後は個人の判断ですね。どの角度から撮ればベストかは経験です。


 挙式は神式が多く、神殿の中ですから笙、篳篥とか吹いている人のすぐ脇に立って撮ります。三三九度とか固めのさかずきとかシャッターチャンスを捉えます。ホテルの神主さんはバイトだったらしく上は立派な装束でも下からジーパンが見えたことがありました。
 披露宴は入場、ケーキカット、来賓のあいさつ、お色直し、キャンドルサービス、余興、花束などだいたい順番はありますが、たまにスライドショーなど突発的な展開がある時は自前の腕が試されます。ストロボをひねって客に光を当てレンズはスクリーンのほうに向けます。シャッタースピード60にして絞り4か2.8ぐらいですか、露出オーバーでも後で何とかなるのでそうしていました。
 新郎新婦のキスの場面は望遠を持っていないと対応できません。なるべく前のほうへ進んで撮らなければいけません。言い出しっぺの司会者などがカメラをお持ちの方前へ進んでください、とか時間稼ぎしてくれると助かります。
 初めから注文が決まっている場合は4本撮ったり、カメラマン二人で撮って良いほうのカットをつなぎ合わせます。


 この仕事はきつかったです。ホテルには写真室が入っていましたから、まずそこにあいさつに行かねばなりません。あちらはスタジオですしこちらはスナップですからぶつかることはないのですが、あちらとしたら撮影させてやってるという意識が働きます。
 カメラマンにもよりますが、3500円~5000円が結婚式一本のギャラです。

ワードプロセッサー

 昭和53年会社に勤めました。ある印刷会社ですが、そのコンピューター部門の漢字処理センターに入社しました。
 たてのひらがなと横のひらがなが交わったところに漢字一文字が表に印刷されています。要はひらがなの組み合わせによってどんな漢字ができるのかの一覧表です。これらを元に漢字入力のためのプログラムを作っていくわけです。
 ワードプロセッサーという言葉はあったと思います。でもワープロという言い方にはまだなっていなかったです。プログラムはそれ用の言語で作ります。COBOL、Bol-1、TASKFORCEなどを使っていました。
 上司から簡単な講義を受けてコンピューター室でカードにプログラム言語をキーで打ちます。どのように自分でプログラムを作ったのか覚えていませんが、ひとまず入力作業を行います。真夏でも室内温度は22℃に冷房で管理されているためYシャツ姿では寒くてガチガチ震えてきます。
 そのカードでコンピューターを動かしますが、必ずエラーが出ます。それでまたカードにキーパンチして再度コンピューターを稼働させます。一日中これのくりかえしでした。


 そのうちコンピューターメーカーに出向することになり、蒲田の学校に通いました。そのときに銀行の口座を作りました。口座番号が悪かったです。1374794、遺産なし泣くよ、です。
 出向先のショールームは新橋と御成門の中間にありました。コンピューターにフロッピーディスクも装備されていて、カードからカセットを通り越してフロッピーにデータを打ち込みます。
 当時のフロッピーは大きかったです。A3ぐらいあったんでしょうか?すぐ側のフロッピーディスクコンソールに挿入すると、ゴットンゴットン仰々しい音で作動します。でもそれが当時は最先端でした。

ウェザーリポート Weather Report 来日

 78年(昭和53年)ウェザーリポートの来日公演がありました。ジャコが参加していることでレコードが異例のヒットを飛ばして以来の初の来日になったと思います。コンサートは二度ばかり行きました。


 「Elegant People」の時はジャコがベースを弾きながら横すべりに歩く、それがまるで蟹が歩いているようでした。そういうところなど観客は大盛り上がりしました。


「Teen Town」のジャコのソロはちゃんとベースで弾いているだろうか、ザビヌルのシンセバスで全部カブせているんだろうかとか細かいところを注視して見ました。

Weather Report - Teen Town


 「Havona」もベースがちゃんと弾けてるかどうか見ていました。
 コンサートの後も出待ちしてファンたちは握手したりしました。


 宿泊はホテル・ニューオータニと小耳にはさんだので、妹といっしょに勘で出かけてみたのです。妹はすっかりジャコのファンでした。


 途中新宿で一旦街へ出まして、紀伊国屋書店の裏のアドホックですか、1階の入口付近に彫金の出店みたいのがありましたので、そこでペンダントを買い「JACO PASTORIUS」と刻印してもらい3000円ほどの代金を払いました。
 ペンダントを持って新宿三丁目駅から地下鉄で赤坂見附駅に向かいました。着いて、弁慶橋を渡りニューオータニに入り通路の奥まで歩いていくと、免税店コーナーでピーター・アースキンの姿を発見しましたので、声を掛けました。


 「Excuse me,Aren't you Mr.Peter Erskine?」「Yes,Weather Report」
 ぼくらはコンサートのパンフレットを出してウェザーリポートの年表のところにサインをもらいました。ピーターは俺は今ここだよと年表の新しいところを指差しました。
 そうこうしている間に後ろにジャコが現れました。185センチぐらいはありました。
 
 「The greatest.」「 Present for you.」と告げてペンダントを取り出してジャコの首にかけました。これは妹がやったかもしれないです。
 その間にジャコの1stアルバムのジャケットだけ持ってきていたのを袋から出してサインしてもらいました。ジャケットの裏に'78Jacoとマジックで描いてあります。握手はもちろんしました。
 ぼくらのほうを見てジャコは「Beautiful People」と言いました。
 別れ際アースキンと二人で背中を向けたまま親指を直角に曲げる得意芸をジャコが後ろ手に見せてくれました。