昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

バンド ④

 ぼくはW市のHYの家も遊びに行きました。そのとき聴かせてくれたのはエリック・サティです。
 世間ではまだサティは知られていなくて、70年代に高橋悠治がレコーディングしている程度で、音大のピアノ科出身の人が知っているか否かぐらいだったと思います。


 サティが世間で知られたのは平成の初めごろでテレビなどで何気なく流れたころでしょう。なので79年の時点でレコードを聴かされたときには思わずジャンルは何?とHYに訊いたほどです。
 レコードは分厚いBOXでした。ジャン・ジョエル=バルビエの淡々とした演奏でした。いい音楽だと思いました。このアルバムは後年小石川図書館で借りて聴き込みました。CDになってからCDも買いました。


 それとバンド名は何にするという問いに彼はビリティスってどうだろうと言うのです。当時まだピエール・ルヰス作の『ビリティスの歌』は知りませんでした。後年好きになる作家です。
 そういう意味ではHYと感性は合う相手だったのだと思います。


 彼のほうから解散を言い出し、ぼくのほうも気持ちが腐っていたので不満をぶちまけるところまでいって、それっきり会っていません。
 エロ漫画家さんの巧みなギターそのものは忘れがたい魅力があって、もう一度聴いてみたいと思いますが、望みはかないません。漫画家さんの名前は覚えていません。

バンド ③

 ある日、グレコのテレキャスを持ち込んでスタジオで合わせました。
 調弦が狂っているとHYは言いました。確かに安物のテレキャスですから、糸巻が甘く狂いやすかったかもしれません。
 御茶ノ水か駿河台下の楽器屋でテレキャスのペグの交換をしてもらいました。調弦が狂いにくいペグになって再びスタジオで合わせました。ぼくはほぼコード担当です。HYはやっぱり調子が出ないというのです。
 かねてからぼくはレスポールモデルに関心があったので、いい機会なので新宿の楽器屋でグレコのレスポールモデル10万円を月賦で買いました。
 そのことをHYに電話で告げたところ、解散すると言い出したのです。ぼくが募集をかけて作ったバンドなのに参加者のHYが解散を言い出す。最後にぼくも言いました、「君の半音階の練習では誰もバックを務めたがらない」と。急きょぼくはレスポールモデルを解約しました。


 ふり返って思い出すと、募集をかけたとき、何人かギタリストと会いました。一番巧かったのはエロ漫画家をやっている人でした。弾いてくれたのは自作の曲でラルフ・タウナー風のプログレのちょっと上をいくような、幻想的な構造の完璧なテクニックに支えられた曲でした。それをアコースティック・ギターでさらりと奏でました。
 巧すぎるという印象を持ちましたが、同席したHYは眉ひとつ動かさず我々と感性がちがうとその場で断ったのです。


 他のギタリストとはうちで音合わせしました。ヤマハの30万だか50万のギターを持ってきた人もいて、ぼくはもっぱらコード進行だけ弾きました。「ライトミュージック」誌に載っていた渡辺香津美の提示したジャズブルース循環コードとか「枯葉」のコードです。その際もHYは半音階の練習です。
 HY抜きで会った時にあるギタリストが「あの人のあれは何なの?w」と言いました。ぼくは苦笑いしました。

バンド ②

 昭和54年ごろジャズ誌で再びメンバー募集しました。そのときぼくはエレクトリックベース担当でした。クロスオーバー、ECM、及びフリー・インプロヴィゼーションが好きな人を募集しました。
 連絡があったのはギタリスト埼玉県W市のHYと同じく埼玉県のドラマーHでした。ギターは1歳上でドラムは2歳ぐらい下でした。大宮のスタジオを予約して、その前か後に大宮公園で散歩しました。


 いざスタジオで音を合わせてみると、もう謎です。
 HYのギターはパット・メセニーと同じアイバニーズ(Ibanez)で、フルアコとセミアコの中間ぐらいのボディの厚さを持ちメセニーと同じモデルで当時25万~30万したかなり高価なギターでした。それを全篇半音階で攻めまくってきます。
 ドラマーのHはジャック・ディジョネット風で、ギターやベースのフリーな演奏に対応しやすい雰囲気のフリースタイルドラミングでした。


 ギターはとにかく半音階でスケールを弾くだけで調性もモード感も漂わせません。ベースとしては対応しきれません。こちらもハナから4ビートジャズをやる気はなかったです。だからと言って全員フリーにするとまでは思っていませんので、提案としてベースは「枯葉」のコード進行を刻むのでギターは自由にアドリブやってほしいと告げました。
 で、ベースで「枯葉」の進行を分散和音風に奏でました。すると半音階を自由に奏でていたHYが「これではベースソロ」だと言い出しました。


 彼の提案はジョン・アバークロンビーとデイブ・ホランドの共演アルバム(ECM)の中のホランドのパターンがずっと続く曲をやろうということでした。ベースがシーケンサーのように同じフレーズをくりかえす中、ギターは半音階で気ままに奏でていきます。
 彼の半音階は字余りの俳句のようにどこか間延びしています。ビバップでもなければモードジャズにもジャズ的イディオムにもなっていません。単なる半音階の練習です。


 訊くところによればそのうちいいフレーズが見つかるかもしれない、ということです。いいフレーズがいつ出てくるかわからない状態で同じフレーズをくりかえすのは苦痛でした。
 とにかくベースはフリースタイルではダメだというのです。


 では、ということでぼくもギターを手にしました。下北沢で買ったグレコのテレキャスです。

バンド ①

 昭和53年ごろジャズ雑誌でメンバー募集をしました。クロスオーバー志向みたいなことを書いたと思います。電話がかかってきたのは、後年有名サックスプレーヤーになったIとか、やはりサックスですが、Nさんという人です。二人は縁がなかったようです。


 ぼくはギターでしたのでベースやドラムの応募をより望んでいました。ピアノやフルートも来ました。二人は女性です。ベースとドラムは男性二人です。
 渋谷のはずれにあるヤマハのスタジオで5人でセッションしました。「枯葉」やブルースの循環コードを弾いてフルートやピアノの人にアドリブを演奏してもらおうと思いました。
 いざとなるとなかなかアドリブが出てきません。ピアノやフルートは楽曲を楽譜通りに演奏できてもアドリブまではできない様子でした。
 ピアノの子とドラマーはうちにも遊びにきて部屋で軽く合わせたことがあります。うちにアップライトピアノはありました。ピアノの子はウィントン・ケリーが好きだとか言ってました。


 ベースとドラムとは別の日にもセッションしました。渋谷からバス停3つ目ぐらいのところに、山手通り沿いの小さなビルがありました。ビルの屋上に小屋みたいなのが建っていて、そこがスタジオの代わりです。
 集中してやったのはジャコの「十代の町(Teen Town)」でした。ベーシストがなかなかの腕でジャコのあの難しいソロの部分を何とか弾きこなしました。ギターはユニゾンのところ以外はコードです。キーは忘れましたが、13thのコードがずっと続きます。
 ヴァイオリン奏法を用いました。キーボードの代わりにギターで13thのコードを押さえて、ボリュームペダルを使ったか小指でボリュームつまみを回したか、忘れましたがともかく演奏しました。


 このメンバーのセッションはそれきりでした。いっぱいいっぱいな感じでしたので。

リターン・トゥ・フォーエバー RTF

 下北沢のジャズ喫茶「ノイズ」で昭和50年ごろ聴いた中にリターン・トゥ・フォーエバーのアルバム「第七銀河の賛歌」「ノーミステリー」「銀河の輝映」がありました。

 いわゆる「かもめ」のジャケットや「浪漫の騎士」のRTFももちろんかかりましたが、「かもめ」は代名詞的に語られすぎていますので、ここでは割愛します。


 アルバム「第七銀河の賛歌」にはビル・コナーズが参加しています。
 これはジャズ喫茶以外で小石川図書館でも借りて聴きました。


 「第七」のコナーズはブンブンまとわりつくようなスリルがあります。エレクトリックギターの素朴さというかロックのだしが利いている感じです。琴線に触れる感覚があります。

Return to Forever Featuring Chick Corea - Hymn of the Seventh Galaxy (Full Album)



 「セニョール・マウス」でのレニー・ホワイトのノリは神がかっています。


 他アルバム「銀河の輝映」には「第七」にそっくりな曲があります。これはちゃんとレコードで聴いた印象が薄かったのですが、AMラジオで突然流れてきてびっくりしました。
 「第七」のスリル感とまた違う、前置きが無く突然崩れ落ちる感じがツボにハマりました。



 数年前に70年代の動画を見たのですが、ビル・コナーズはレスポールのボリュームやトーンのつまみを始終触っていました。ルックス的にもGSっぽいというかロックっぽい気がしました。


 ディメオラ加入時の動画も見ました。レニー・ホワイトは叩き方が他のドラマーとだいぶ違っていて天才だなと感じました。左利きなのかなという叩き方ですが、ハイハットがふつうに左にあるのです。


 レニーには根本的なノリがあります。それでいてジャコの1stアルバムの「Continuum」の4ビート的なものにも対応できる、これは当時ジャコ自身が雑誌のインタビューに答えています。


 「ノーミステリー」はジャズ喫茶で聴いたのと図書館で借りた記憶はあるものの印象が薄いです。今度ちゃんと聴いてみます。


 それとネット上で、アイアート・モレイラからレニーに変わる間ぐらいにスティーブ・ガッドが参加していた時期があるという情報を得ました。ライブ盤ではあるみたいです。ぼくは未聴です。
 そこにミンゴ・ルイスもクレジットされていましたから、ディメオラの「白夜の大地」の1曲めなどのセッションも納得いきました。


 それとRTFとして忘れてはならないアルバム「ライト・アズ・ア・フェザー」は名曲「スペイン」が収録されています。


 この曲は70年代の「ライトミュージック」か「ジャズライフ」誌で楽譜を見たことがあります。コード進行が「枯葉」と同じでした。