昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

入谷の冷やし中華

 母と入谷の家具センターに出かけた時です。入谷駅の地上に出ると大きめの交差点がありました。家具センターはすぐ近くでした。

 やはり交差点の角に近いところに中華屋がありました。家具を見る前か後か記憶が定かではありませんが、お腹も減っていたんでしょう、暑かったので夏だったんだと思います。冷やし中華を注文しました。美味い美味い。

 人生で一番美味い冷やし中華でした。麺はしこしこ、タレも冷たく味付けは酸味と甘さがちょうどよく抜群です。何の変哲もないふつうの中華屋で、店名も忘れました。


 せっかく入谷に来たから散歩しようと、商店街を歩いていきました。昭和っぽい洋装店があったので、入店しました。オジサンが店番をしていました。

 どこから来たの?とオジサンはぼくたちに尋ねました。よそ者と分かったのでしょう。世田谷と母が答えました。当時もう世田谷に根付いていました。そうしましたらオジサンは笑いながら、まぁ世田谷だって東京のうちだからいいじゃないか、と言いました。ぼくは心の中で入谷の人は世田谷を田舎だと思っているんだと思いました。

 確かに下町に比べれば世田谷など田舎でしょう。昭和30年代は世田谷に田畑が広がっていたはずです。でも下町の人は現在でも世田谷を田舎だと思っているようです。

 オジサンの爪は大きくて真っ黒でした。世田谷で爪が黒ずんでいる人はめったにいません。

 赤坂に住んでいたころ、母は杉並の下井草に用事があって出かけました。閑静な住宅街ですが、昭和40年ごろはまだのどかさも残っていたと思います。やっと訪ねていって、どちらからいらしたんですかと問われて、赤坂と答えると、まあ辺鄙なところから来たんですね、と返ってきました。下井草から見ると赤坂は辺鄙なところ、という感覚なんですね。

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