ツァッテレ河岸 アンリ・ド・レニエ
「ツァッテレ河岸」~(マチウ・ド・ノアイユ伯爵夫人に)
マチュー・ド・ノアイユ伯爵夫人:マリー・アントワネットのしつけ係。マリーは夫人のことを「マダム・エティケット」と呼んでいました。
という作品を紹介します。これはアンリ・ド・レニエ『水都幻談』の一節ですが、青柳瑞穂訳です。
他に知られているのに『ヴェネチア風物誌』窪田般彌訳があります。内容は同じですが、訳はだいぶ違って青柳訳のほうは口語文語混合体です。
なお、本文と画像の表記が異なる部分があります。
われ、汝を愛す、おお、ツァッテレ河岸よ。汝の起点をなすドガナ岬より、汝の終点な
ドガーナ岬
るカッレ・デル・ヴェントに至るまで、石畳の河岸に並ぶ家構のまちまちなるも面白く、
コッレ・デル・ヴェント
明るき昼の、暗き夜の、ながながと続くツァッテレ河岸よ。われは汝の全長を愛す、如何となれば、汝が甃石(しきいし)は、足ばやに歩むもよく、静かに歩むもよし、はたまた佇むもよければ。時間と季節によりて、日蔭なることもあり、日向なることもあり、おお、ツァッテレ河岸よ。
われはサン・トロヴァゾの掘割より汝がもとに至ること多し。ああ、かの町角なる、ア
サン・トロヴァ―ゾ
ーケードと藤棚のある家よ、そが藤も今年ふたたび来つればすでに黄ばみたれど。さあれ、十一月の太陽はヴェネチアの空に明るくかがやき、空気はうるほひて、すがすがし。そが空気を胸いっぱいに吸ひて、汝が歩道をそぞろ歩くは、おお、ツァッテレ河岸よ、何たる歓びぞ。眼前の広き運河をへだてて、彼方にヂウデッカの島影、三棟の教会堂と共に望み見えたり。かのサルビヤと糸杉の庭のゆかしきかな。
ジウデッカ
それ故にこそ、われ、ここに来たるなれ。右せんか、左せんか、そが判断に苦しむも、われは汝のことごとくを愛すればなり。おお、ツァッテレ河岸よ、ドガナ岬より、カッレ・デル・ヴェントに至るまで、われは汝を愛す。インクラビリ寺のあたりも、ヂェズアチ寺のあたりに劣らずよけれど、ルンゴオ橋もすてがたく、かの古き館邸のある場所もゆ
ジェズアチ教会
かし。そが門扉にかかれる槌(つち)は、海馬の群を従へたる青銅のネプチューンなりき。然らば、彼処に行きて、そが扉に背をもたせつつ、かの細くして強き葉巻をくゆらすも面白からん。土地の人々のなすが如くに、先づ指にて真二つに切りてより、そが半分に火を点ずるは言ふもさらなり。
然り、いざ行かん、日あたたかにして、空も美しければ、河岸に荷揚げする船は、ロープより鈍き呻きを発す。何処の地にても、港に船の行き交ふを見れば、おのづと流離の思ひわくものを、誰(た)ぞヴェネチアを離れんと思はんや。積荷の船の腹ふくらますとも、マストの帆綱をゆするとも、徒(あだ)なれや。おお、ツァッテレ河岸よ、汝が石畳にわが靴底を、かの青銅の槌にわが背をあつる、これにまさる何ごとかあらん。
午砲のとどろき聞ゆ。鐘も鳴り出でぬ。そはヂェズアチ寺の、サン=トロヴァゾ寺の、
サルテ寺の鐘と、それぞれ識別されたり。レデントオレ寺の、サンタ=エウフェミア寺
レデントーレ教会
サンタ・エウフェミア教会
の、ツィッテレ寺の鐘々、運河の彼方より鳴り来たりて入り混る。空気のどよめくこと暫
ツィッテレ教会
し。わが散策の時間も過ぎたり。明日はかく油を売ることなく、汝のことごとくを歩きまはらん、おお、ツァッテレ河岸よ、ドガナ岬より、カッレ・デル・ヴェントに至るまで、一瞬のあますところもあらじ、おお、ツァッテレ河岸よ。
(参考:平凡社)