昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

『月世界探検』羽化仙史

 明治のころのSF小説の一節を紹介します。
 『月世界探検』は明治39年の作品です。羽化仙史(うかせんし)は安政四年(1857)生まれ。


 『月世界探検』第七 (一)


 残忍無情の蛮族も、無邪気なきん子が無限の愛嬌を呈して厚意を表するのを見て、心和(やわら)ぎ、気弛(ゆる)み、言うが儘(まま)に快く任かせたれば、きん子は、退いて、玻璃服(はりふく)を身に纏い、羽衣を着て、空中へ舞い揚って、見たところが、地球よりは、引力の量が少ない所為(せい)か、舞い揚がることは容易(たやす)いが、空気が至って稀薄ゆえ、翔(かけ)るのが余程困難である。


 しかし、きん子は、此の儘に飛去れば、蛮人の害を免れるは知れてあれど、同情に富んだる彼女(かれ)は、甚麼(どう)しても、そんな無慈悲な事を為すに忍びず、不利益と知りつつも、再び降りて蛮人に従うことにした。


 蛮人は、きん子の飛び揚ったのを見て、大いに驚き、言語(ことば)は通ぜねど、天津女神とでも思ったか、頗(すこぶ)る尊敬の意を表して、沙舟に乗せ、らく子、はな子、ふき子の三人を合乗りにさせた、しかし羽衣は、蛮人の懇請(こんせい)に依って脱去った。


 きん子は、他の人々の安否如何を掛慮(きづか)ったれど、自己(おのれ)すら体の好い囚虜(とりこ)も同然で、如何(どう)することも出来なかった。 




 (注)
 玻璃=玻瓈=ガラス
 甚麼=どう、なんと、麼は恁麼(いんも)で変換が容易。


 羽化仙史は本名渋江保。渋江抽斎の七男。慶應義塾本科卒。1857年生まれということはアルチュール・ランボーとグスタフ・マーラーの間の歳です。


 「空想科学小説集」『少年小説大系』(三一書房)は1986年刊行ですから、もう30年前に読んだことになります。当時笑みを含みながら読んだ記憶があります。


 きん子って名前が単純に面白いと思いました。大げさな表現なんだけど、今じゃ考えられない月への思いがちょっと稚拙。明治39年以後の旧制中学の生徒たちが読んでいたのかと思うと感心するやら微笑ましいやら、です。


 本編の全文は分厚い本に載っていますが、図書館用に刊行したシリーズ本と思われるので、図書館にあると思いますのでお確かめください。
 他の収録は幸田露伴、木々高太郎、北村小松、三石巌などの作品です。
 この三一書房の少年小説大系は約12巻ほど刊行されていますので、お好みのものを貸し出ししてはいかがでしょうか。


                 (参考:三一書房)

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