昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

竹の子族と美術学校

 Mさんは絵を描いているということでした。『ゴッホの手紙』を読んで感動したそうです。絵の専門学校に通っているから一緒に来ない?と言われました。一般人でも申し込めば裸婦のクロッキーに参加できるから、と言うのです。
 目黒駅からバスで白金方面に向かいます。自然教育園あたりでバスを降りて、住宅街の中にT美術学校はありました。学校の受付で数千円を払って、スケッチブックとクロッキーの道具を買い参加しました。モデルがいきなり全裸になったので面喰らいました。
 一応ぼくも少年時代マンガ家に憧れていましたし、後年アニメーターも少しやったのでMさんよりは巧く描けました。巧いねとMさんは言いました。


 Mさんとは特に待ち合わせせずに原宿の竹の子族を見物に行きました。Mさんは竹の子族の絵を描きに、ぼくはニコマートにストロボを付けて毎週のように通いました。
 竹の子族のスターみたいのがいて山口百恵ばりのルックスの女の子をバシャバシャ撮りました。後に芸能人になった沖田浩之が所属するグループもありました。
 ロックンローラーの女子だけのグループもいて、カラーのポジ(スライド)フィルムを試し撮りする感覚で仲良くなって撮影しました。一番カワイイ子は昭和38年生まれだったのでずいぶん若く感じました。
 Mさんはカンバスに油絵具でちゃんと描いていましたが、絵はちゃんとしてなかったです。デッサンをきちんとせずマンガっぽく描いていました。何というか描かれている女の子が三頭身なのです。『ゴッホの手紙』に影響された、には遠い絵です。
 竹の子族の見物客たちが興味津々で絵を見に来ますが、何も見なかったように立ち去っていきました。


 後年、港区と品川区の不動産物件を探した際、偶然T美術学校のあった場所にたどり着きました。住所は覚えていなかったのですが、行ってみて路地の感じで気づいたのです。もう学校は無くなっていてふつうの住宅になっていました。

×

非ログインユーザーとして返信する