巴里にあこがれて
父が酔っぱらうと「大利根月夜」と「巴里の屋根の下」を歌いました。
父は少年時代に親戚や他人に引き取られていましたから、孤独を癒すために活動写真やトーキーの映画を見ていました。弁当を持っていって入れ替えのときに、座席の下に潜りこんで映画館に入り浸っていたそうです。
大阪や愛知に引き取られていたころはまだ年端のいかない尋常小学校の子どもですから、こづかいも限られていて映画館に通うほどではなかった可能性が高いです。
渋谷に住んで数年後神田の正則英語学校に通うことになり、おそらく市電で渋谷から須田町ゆきに乗り専修大学前で降りて、神保町のさくら通りにあった「東洋キネマ」に通っていたと思います。
「巴里の屋根の下」「巴里祭」「北ホテル」など見たんだと思います。
英語学校に行く場合須田町まで乗っていくか銀座線で神田まで行くのが妥当でしょう。実際は英語学校へは通っていないのです。祖母からもらった月謝は映画代に費やしたようです。
父は晩年書道教室を開きました。その関係で中国へ行きたいと語っていましたが、本当はパリに行きたかったんじゃないかと思います。
父が「巴里の屋根の下」の世界に憧れる気持ちは判ります。少年時代にフランス映画に親しみ、青春時代フランス文学やロシア文学を読んでいた父ですから、パリに行きたいという気持ちはよく判ります。
ぼくはそんな父の気持ちも心のどこかに抱いてフランスに行きました。パリも散歩しました。