昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

荘子が夢で蝶になる

 梁田蛻巌(やなだぜいがん)の、荘子が夢で蝶になる話を素材に詠んだ詩を紹介します。蛻巌は1672年生まれでバッハやヘンデルより13歳上です。


 荘子像に題す


 為蝶無荘周
 為周無胡蝶
 画中両倶存
 是非終喋喋


 五言絶句。一句と二句は対句になっています。
 韻は入声十六葉で、二句めの蝶と四句めの喋。


 是非=荘周と蝴蝶のいずれが実在なのか、という判断。
 喋喋=多言なこと。よどみなく喋る。


 「読み下し文」


 蝶と為れば 荘周無く
 周と為れば 胡蝶無し
 画中 両(ふたつなが)ら倶(とも)に存す
 是非 終(つい)に喋喋(ちょうちょう)


 「現代語訳」


 荘子が夢に蝴蝶となると、人としての荘周はいなくなり、
 覚めて後に荘周に戻ると、蝴蝶の姿はなくなる。
 が、この絵の中には蝴蝶も荘周もどちらも描かれていて、両者の一如(いちにょ)なることを示している。
 いずれが実在なのかという分別は、結局は空しいおしゃべりにしかならない。



 蝶になる夢の話、くわしくは『荘子』を参照してください。
 一如とは絶対的に同一であるという真実の姿を意味する仏教用語です。

 蝶と喋でごっちゃになるほど似ていますが、喋喋はダジャレの感覚ですね。。


                      (参考:岩波書店)

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