赤坂表町の家の2階 続
その他住んでいた人は、やはりお妾さんのYさん。母よりちょっと年上でぼくがお腹の中にいる時から2階に住んでいました。母と仲良しで炬燵に二人であたったスナップ写真があります。本名はSさんですが、ダンナの苗字Yで呼んでいました。ぼくは日本語の発音ができなくてタダちゃんと呼んでいました。タダちゃんとはお風呂もいっしょに入ったことがあります。浅黒くなめらかな肌でした。昭和50年ごろ世田谷のうちの家に訪ねてきたことがありました。そのころタダちゃんは50ぐらいになっていて、大森あたりのとんかつ店で働いているとのことでしたが、ぼくは何となく顔を合わせませんでした。
あと名前は忘れましたが、やはりお妾さんと思われる、娘さん共々同居している人がいました。ぼくが産まれてすぐ産湯に浸かっている時その娘さんは小学生ぐらいですから、団塊の世代ぐらいでしょうか。その人の部屋に赤ん坊のぼくが遊びにいくと玉子焼きを御馳走になります。
赤坂の芸者さんも住んでいました。両親と三人の記念写真があります。両親より年上で、ベテランの域にあった感じの上品な人です。
築地の料亭のNさんも住んでいました。この人は後年うちの家を買いました。