昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

小田急線複々線化 梅が丘駅~東北沢駅

 小田急線の和泉多摩川駅~梅が丘駅はけっこう前に複々線化された。下北沢駅~東北沢駅も4年ぐらい前に複々線化されたと思う。現場を見ていないのでネットの情報。


 このたび梅が丘駅~世田谷代田駅が複々線化が実現された。この3月には代々木上原駅まで延長される。



 自分は昭和45年に世田谷代田駅の徒歩圏に住んで以来、昭和62年ごろまで下北沢駅周辺は生活圏であった。

 上の写真はバブル頃だそうだが、自分が知っている世田谷代田駅の面影とほぼ一致している。最近数年は行っていないので外観は分からないが、現在の駅舎の断面図は、

 このようになっている。(ビフォーアフター)


 改札口はちがうが、外観は下北沢と判る感じ。

 下北沢駅の断面図はこんな感じ。


 自宅は小田急線や井の頭線より南にあったので、自転車で笹塚や新宿へ行く場合どうしても踏切を渡らねばならない。
 下北沢駅東側の踏切は、駅近くの金子総本店前の踏切とほぼ同じぐらい開かなかった。
その踏切はザ・スズナリというコの字型の袋小路の近くにあった。ザ・スズナリの小劇場でインド映画を見たことがある。
 踏切を越えてすぐにペットショップがあって、トリマーがウィンドー越しに犬の毛を梳かしていた、のが思い出される。


 その道をもう少し行くと昭和の懐かし物を売っている店があった。中華屋もあった。ここは1970年代ラーメン100円であった。代沢に住んでいた友人と試しに行ってみたことがある。具少なめの東京ラーメンで、肉野菜炒めやニラレバ炒めもあり200円代だったと思う。20代の食べ盛りの若者でも300円代でお腹いっぱいになった。忠実屋(ダイエー⇒グルメシティー⇒フーディアム)でバイトしている時も数回利用した。
 並びに自転車屋もあり、数回パンクを直してもらったことがある。


 下北沢駅周辺はロック系のプロアマの若者が闊歩していた。ジャズ喫茶の話は以前書いたのでここでは省く。


 その後本多劇場のビルが建って劇団員や演劇志向の若者も混在するようになったと思う。が、そのころ自宅は京王線沿いに引っ越していた。
 下北沢の街の雰囲気が変わったので辟易していたが、引っ越してしまうと懐かしく感じ、自転車で下北を通って井の頭線池の上駅経由で渋谷に向かっていた。

 これは東北沢駅の代々木上原側。写真は昭和55年とあるので当然知っている。


 ちょうど踏切から見るとこんな風景であった。ここがやはり開かずの踏切で特急や急行が走り去っても踏切は開かず、鈍行がしゃあしゃあとした顔で停まる。その間数秒でも開けてくれれば渡れるのに、と毎回苦虫を噛み潰した。


 つまり年に数回しか自動車やタクシーを利用できない事情があった。そういう長年の住民や自動車の苦労が40年越しに晴らされたわけだ。一時は高架も考えられたが、住民の猛反対もあって実現しなかった。複々線化着工以来30年だそうだ。

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