昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

松陰神社?何でだろ

 リビングで父親は紺の着物姿で新聞を広げたり閉じたりページをめくっていた。記事を読んでイライラしているようだ。


 ぼくは居間でサンドウィッチを食べた。珍しく妹が作ったらしい。コーヒーはいつもよりうまい。ブレンドからキリマンジャロに変えたな。


 父親が新聞を丸めて階段に片足を掛けたまま、「このメモだれのだ」と言った。
 「ああ、ぼくのだ」とメモを受け取った。そのメモには「6:30」と書いてある。ぼくのメモに間違いない。



 電車に乗って虎ノ門で降りた。駅前の駐車場で待ち合わせだ。
 えーと、えーと。


 あ、いた。草野さんがいた。草野さんはにこやかな顔で手を振っていた。6:30に虎ノ門で待ち合わせしたものの、会うまで誰だか分からなかった。


 「どうもこんにちは」「こんにちは」「さっそく車に乗りましょう」


 ぼくたちは駐車場に停めてあった高級外車に乗り込んだ。車は走り出した。


 草野さんはハンドルから手を放した。「ほら!」とハンドルを指差して、助手席のぼくに言った。
 「おお、自動運転なんですね」うんうんと草野さんは満足そうだ。


 ぼくはボルボか何かだなーと、内心すげえなあと思った。


 車は30分ぐらい走って停まった。24時間何ちゃらという駐車場に停めて、道を歩き出した。


 ぼくは持ってきた、幕の内弁当を草野さんに手渡した。「これ料亭で仕出ししている弁当なんです。」(実は「口悦」の昼のランチだが、見栄えはいい)
 「おお、これはすごい。彩りが違うね、やっぱり」


 草野さんの歩きはウォーキング並みに速い。ぼくはだんだん遅れ気味になった。


 ぼくは周りの風景に目を奪われて、いつしか草野さんがだいぶ先を歩いていることにやっと気づいた。


 車道と反対側がコンクリートの壁になっている何の変哲もない歩道を草野さんに追いつくように闊歩し始めた。


 前方に東野の姿が見えた。こちらに向かってちょうど出かけるような様子で歩いてきた。「よー、偶然だな。この辺に住んでるんだ?」彼はあいまいな笑顔で「どうもどうも」


 「草野さんと会っただろ?」と話しかけた。東野は否定も肯定もせず笑顔で「まっすぐ行くと松陰神社駅だから」と前方を指し示した。ぼくが軽くうなずいて先に進むと、東野も三、四歩いっしょに歩き出した。と思ったら、踵を返し元の方向に向かって歩いていた。


 やっぱ用事があるから出かけようとしてたんだものな。しかし関西芸人が有名になると世田谷に住むものなんだなとつくづく思った。何でだろ。似合わないな。


 ともかく草野さんを探さなければと歩きを速めた。


 7、8分歩いただろうか。「松陰神社駅」に着いた。あれ、こんなに栄えたところだっけ?昔、公証役場だか、ちがうかもしれないが、何かの用事で来て以来だな。世田谷線のチンチン電車の小さい駅だった。
 駅の反対側は渋谷みたいに人で混雑している。あれれ、松陰神社は今やトレンドなのか?何だよこのにぎわいは。


 駅の反対側はだだっ広い公園になっていた。人がいっぱいだ。この中から草野さんを探すのか。
 どこか原っぱかベンチで幕の内弁当を広げて独り寂しく食ってるかもしれない。シーソー、ぶらんこ、ジャングルジム、砂場、あちこち探したけれど草野さんはいない。


 この公園いつも来るところだ。大田区だと思っていたが、意外にも世田谷それも松陰神社だったなんて、まさかのまさかだよな。


 松陰神社なんて全国あちこちにあるだろうに。何でここはこんなに栄えちまったんだ。


 公園の広場がテントの縁日になっていてアメ横の建物内のみやげ店の小路みたいに連なっていた。革製品や装飾品の店がひしめき合っていた。後ろから肩をドつかれた。ハーフの少年が飛び上がって仲間と会うときに勢いでぼくの肩を叩いたようだ。


 ああ、草野さん見つからない。


 つか、東野とぼくが何で知り合いなんだ、と今さら思うのだった。




 という夢を見ました。

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