昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

浅草の小父さん ①

 浅草をカメラ片手で歩いていたら偶然知り合った小父さんがいました。小父さんは特攻隊の生き残りだそうです。府立三中を出て予科練に入隊したそうです。特攻隊員として飛び立つ2日前に終戦を迎えたということです。
 後で判ったことですが、小父さんは2歳誤魔化していました。大正15年生まれなのに大正13年と言っていました。厳密に言えば3学年です。なぜなら大正13年の1月生まれと称していましたが、実際は大正15年の12月生まれでした。
 府立三中は現在で言えば両国高校のようです。府立一中も受かっていたが、三男だから三中でいいと親に言われたとか。小父さんの兄は府立一中からやはり海軍に入隊、南洋で戦死したそうです。府立一中ということは現在では日比谷高校ということになります。

麻布学園の小父さん

 新宿御苑をカメラ片手に散策している時に知らない小父さんに声を掛けられました。ぼくが持っていたカメラに興味があったみたいです。カメラはイコンタです。小父さんは昭和8年生まれということらしいので、カメラが製造されたころの生まれです。
 麻布高校出身とのことでした。大学は早稲田でした。中学も麻布だったか忘れてしまいました。というのも昭和8年生まれというのは旧制ではなく新制のはずです。そうなると旧制なら麻布中学ですが、新制の場合中学と呼ぶのは相応しくないのではないか、と思うのです。麻布高校と呼ぶのがナチュラルな気がするのです。
 ともかくその小父さんが中学か高校のころ都電(そのころは市電だったかもしれませんが)、「赤十字病院下」で路面電車に乗って帰るわけです。そうした際に聖心の女子学生とか東京女学館の女子学生と一緒になるのが楽しみだったと回想していました。聖心派と女学館派に分かれていたそうです。


 麻布学園は元麻布2丁目にありますが、昔はぎりぎり麻布本村町だったはずです。都市伝説で有名な「蟇池(がまいけ)」も本村町です。隣り町は西町インターナショナルスクールの西町です。あのあたりで芸能人カップルTH、MI夫婦を見かけるそうです。近所にはセレブ感漂うテニスコートもあります。
 関係ない話ですが、テニスコートの付近でまだ無名同然の麻木久仁子がリポーターとして誰かと話しているところを見かけたことがあります。

昭和レトロ写真 ⑥

 ある年は立て続けに3台クラシックカメラを買いました。ライカとレチナとパールです。


 バルナックライカエルマー50mmブラックは1930年前後の製造だったと思います。ブラックでした。17~8万円でした。


 最初ピントがうまくいかなかったのですが、慣れてきて日本橋人形町の古い店舗などに見られる昔の窓ガラスの描写が昭和初期そのものでした。何ともノスタルジックに再現してくれます。昭和一けたのころに撮ったと言っても信じてくれそうな写真が撮れて非常に満足でした。
 ただフィルム装填が面倒なので普段遣いには向いていないと思いました。


 レチナⅠaクセナー50mm(1935年ごろ)は14000円は値段のとおりあまりうまくいきません。クセナーの味がどんだけ出るか試したところ今まで出せていません。





 パールⅡヘキサー75mmF4.5は19400円と安かったのですが、まだまだ答えは出ていません。ⅡでF4.5というのは少数派ですがⅠのような描写が期待できるかもと思い、購入したのです。


 なぜ立て続けに買ったのかと言うとフランス旅行に間に合わせたかったからです。ライカでフランスを撮るのもいいかもしれないと思ったからです。旅行に行く前にいろいろなカメラでテスト撮影しました。



 結果持っていったのはスーパーセミイコンタでした。フィルムはイルフォードがメインでチェコのフォーマパン(モノクロフィルム)も持参しました。現像してみるとチェコのフィルムはたわんでコマの一部ピンボケになってしまったところがありました。


 チェコのフィルム「FOMAPAN」↑



 イルフォードで撮った写真は非常にヨーロッパ的な雰囲気に撮れました。自分の技術にしては1930年代風に写真が出来上がって一発勝負にしては成功でした。


 やはり本物のフランスの路地は映画のように雰囲気があるなぁと思いました。本当は戦前戦後、昭和30年代の港区にタイムマシーンで戻って写真を撮りたいです。

昭和レトロ写真 ⑤

 97年、今度はツァイスイコンのコンテッサ35オプトンテッサー45mmF2.8を49000円+2000円(消費税)で買いました。これは確か1950年代のカメラです。ピントの具合が今イチでした。シャッターが下りない時があり、撮るときの不安感がありました。


 ただネオパン100で撮った際の画質がたまたま良くシャープネスかつトーン豊かになりました。1年ぐらい使ってやっとうまく撮れるようになりました。


 その翌年、スーパーセミイコンタ6×4.5テッサー7㎝F3.5(1934年)を48000+2000円(消費税)で買いました。これはやはりドイツらしい感じのカメラです。


 牛込の市谷砂土原町や南青山、神宮前、牛込地域一帯、西新宿、幡ヶ谷、笹塚、柴又、赤堤、伊勢神宮、千駄ヶ谷、参宮橋とあちこちで撮影しました。このカメラは当たりでした。後年フランス旅行にも持参しました。


 また次の年、スーパーイコンタシックス6×6イエナテッサー80mmF2.8(1935年)を23000円で買いました。ケース付でしたが、全体が重く使いこなせませんでした。後年買値より高く売りました。人気はあるようです。


 同年にコッホマンのコレレ・シックス6×6目測式75mmF3.5(1920年代中期)を買いました。シャッタースピードは1/125までです。


 66の魅力を追い求めて、二眼レフでない蛇腹のものということで、イコンタシックスがあまりに重いのでこれを求めたのだと思います。価格のメモがなく不明ですが、4万円はしなかったような気がします。
 ストラップは黒革のを別売りで買いました。市谷柳町、飯田橋、品川、銀座などを撮りました。巻き上げの窓の数字はでたらめでカウンターのほうが正確です。12枚は撮れました。


 この後プライベートでいろいろあったので2006年までは1台も買いませんでした。

昭和レトロ写真 ④

 翌年もパールⅠを別の店ですが、デパートの中古カメラ市で買いました。やはりパールⅠの描写は非常に気に入っていました。
 戦後の白黒映画でいえば東宝と日活の間をいくような感覚を個人的に持ちました。


 このカメラでもT-MAXやアグファパン100、コニカパン100、ネオパン400など試しました。
 本当はコニカパン200を全面的に使いたかったのですが入手しづらく、記憶があいまいですが、このころ200は生産中止になっていたかもしれません。
 ネオパンよりもコニカパンのほうが粒子が細かくハーフトーンがよく出ました。ネオパンはコントラストが良かった気がします。


 ですが、何の事情かこのパールⅠも後年売却しています。


 同じ年にローライフレックス・タイプⅠプラナー80mmF2.8(1960年)を95000円で買いました。


 自分でもよく思いきり買ったなと思える金額です。これを首から提げて神宮前を散歩していましたら隠田神社祭に遭遇しました。
 確かによく写るカメラです。でも人物の描写は抜群ですが、風景となるとちょっと違います。カメラの知識がある人なら買う前から知っていることなんですよね。


 翌年の95年スーパーイコンタ69(イコマット)テッサー105mmF4.5(1933年ツァイスイエナ)を69000円で買いました。これはテッサーレンズで距離計も付いていたので意気込んで買いましたが、思ったほどの写りではなかったです。


 前年とこの年ぐらいは完全に迷宮にハマっていました。
 この後キャノンⅣsbやキャノネットGⅢQL17も買いますがいずれもハズレで自分好みではありませんでした。


 やっと満足できたのがローライフレックススタンダード・テッサー75mmF3.5(1932~1934年)です。これは技術がない自分でもキレイなトーンと質感を得られます。


 6×6なので『写された港区』とは違いますが、写真の雰囲気は似ています。