昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

赤坂表町、台町、コロンビア通り、への郷愁

 母の生前、青山一丁目からカナダ大使館、赤坂8丁目の住宅街、高橋是清公園、表町、台町つまり7丁目エリアを散歩しました。


 コロンビア通りを歩いている時、7丁目のYさんとすれ違いました。けれども顔色が悪すぎて(紫色)声をかけそびれてしまいました。
 
 一人で散歩したことも何度かあります。角の農文協の路地に入っていくと往年の銀幕俳優Kやムード歌謡の歌手Mの家が現在はお寺になりました。


 あのあたりは閑静ではありますが、そんなに手の届かないところではなさそうです。
 ずっと歩いていくと坂を下りてリキマンションなどがある通りに出ます。
 ここもけっこう自動車の抜け道に使われているような気がします。
  
 この辺のマンションに住むのもいいだろうなと感じました。台町は高台なので買い物の帰りはたいへんだろうなと思います。

恵比寿の思い出

 父の浮気相手が押しかけて来ても大丈夫なように、父を恵比寿のアパートに避難させたというか隔離したというか、とにかく住まわせたのはたぶん昭和40年です。
 台町の家からタクシーで祖母と母と一緒にアパートを見に行きました。父はまだアパートに帰宅していなかったので中で待っていた記憶があります。2階の部屋から恵比寿の住宅街それも夜のしじまを眺めていました。
 父は手に食パンをぶら提げて帰ってきました。近所のパン屋さんで買ってきたようです。すでに40過ぎの父でした。現代でこそ熟年の人が食パンを買おうが何を買おうが気兼ねすることはないですが、昭和のあのころに中年男性が夜食パンを買うのは異様だったに違いありません。
 渋谷区恵比寿のどのへんであったか、はっきりとは判りませんがまあまあ閑静な住宅街だったので、おそらく3丁目ではないかと思います。恵比寿ガーデンプレイスも近いです。地図を見ますと港区と品川区と目黒区が入り組んでいるところでもあります。
 90年代に恵比寿ガーデンプレイスに遊びに行った際、足を延ばして3丁目あたりを母と散歩したことがあります。このあたりだったかなと記憶を甦えらせながら歩道橋のある大通りまで歩きました。

「赤坂をどり」⑩

 八悦丸(やえまる)さんと金時さんのインタビューです。

 八悦丸「古典らしく、きちんと優雅に、お姫様らしく華やかに踊ります。変わり身、小道具をいろいろ使って扱いとか三人の位置取りに気を遣います。かなり無理な姿勢を取ったりしますから毎日の稽古が引き締まった身体をつくるので一所懸命に稽古をしています。獅子の向きとか振りすぎて今度は品がなくなるけれど、歌舞伎座の大舞台で派手に踊るのに苦労しています」

 金時「踊りは静かなように見えますが体力がいります。おかげ様で足腰が丈夫になりました」

「赤坂をどり」⑨

 西川流「扇獅子」常磐津連中 囃子連中 
 常磐津文字兵衛指導 賀山左衛門指導 西川右近振付 西川鯉之亟指導補
 後藤芳世美術 岩渕御行照明
 三味線 奈加 孝代 真理子 今代
 浄瑠璃 森江 若知代 小晴 三代丸 麻路 桃太郎
 笛 禮子  小鼓 君千代 園子 よし子 千こ 松か
 大鼓 彰子   太鼓 力也
 女 金時  女 華子  男 玉千代
(以上敬称略)
 玉千代さんがちょんまげで白装束にいぶし銀の青光りする袴姿。白い獅子を表現する扇。金時さんは赤い装束で黒地に金銀の紋様の帯。赤い扇。華子さんは白装束で黒地に金銀の紋様の帯。赤い扇。扇に各色の布が繕われる。女は二人とも豪華なかんざし。

「赤坂をどり」⑧

 第四十四回「赤坂をどり」の藤間流「お祭り」の際のみ重子さんと千景さんのインタビューです。


 み重子さん「粋な鳶頭は男舞。男の気持ちになるのがたいへんです。後ろ姿まで男の人に見えるようにと言われますが、なかなか難しいです。たくさんつらかったことがあります。踊れないこと、なかなかできなくて情けなく、ナーバスになりました」


 千景さん「由緒ある歌舞伎座で踊れて本当に晴れがましいです。二月半ばすぎから約二か月間。朝十一時ごろから夕方四時すぎまで稽古は一日あっという間に終わるんです。普段は滅多に顔を合わせることはないけれど、稽古だと一緒になって家族みたいでとても幸せです」