昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

峨眉山月の歌    李白

 新宿区舟町に「峨眉山」という中華料理店があります。舟町といってもピンと来ない人が多いでしょう。


 四谷三丁目の交差点があります。そこから外苑東通りを北に行くと、つまり曙橋方面に行くとゆるい坂のカーブになります。坂の途中に「峨眉山」はあります。

 その先を行くと当然(曙?)橋があります。「曙橋」駅は橋の下にあります。橋を渡って合羽橋交差点にぶち当たります。
 だから橋の名前は曙橋なのか合羽橋なのか実は確信が持てません。その先の坂を上っていくと薬王寺町の商店街になります。


 逆に薬王寺町のほうから自転車で走るとゆるい坂を上ったり下りたりで骨が折れます。 
 「峨眉山」の店先は舗装が古くなってガタガタ道になっていましたし、狭い歩道なのに放置自転車、バイクが並んでいたので歩行者をよけるのに毎回苦労しました。
 舟町の隣りが荒木町です。昔花柳界があった町です。



 峨眉山とは四川省峨眉県にある標高3099メートルのけっこう高い山のことです。

 「峨眉山月歌」という李白の七言絶句があります。


  峨眉山月歌        峨眉山月の歌


 峨眉山月半輪秋     峨眉山月 半輪(はんりん)の秋
 影入平羌江水流     影は平羌江水(へいきょうこうすい)に入(い)って流る
 夜発淸渓向三峡     夜清渓を発して三峡に向かう
 思君不見下渝州     君を思えども見えず 渝州(ゆしゅう)に下る


 

 韻は秋・流・州。


 峨眉山=峨眉は元は虫へんの蛾で、蛾の触角のような優美な女性の眉を表わしたが、山なので山へんになり峨眉山となった。
 半輪=半円。半月。山に半分隠れているという説もあるが、ここではやはり半月と解釈する。
 影=光。月の光。
 平羌江=本来青衣江(せいいこう)といい、峨眉山の北を流れ、大渡河(だいとが)に注ぎその大渡河が岷江(びんこう)に合流している。岷江は長江(下流は揚子江と我が国では呼んでいました)の支流。
 淸渓=宿場(船着場)の名。大渡河と岷江との合流点から下流へ少し下ったところにある。峨眉山の東南。
 三峡=長江が四川省から湖北省にかけて両岸に山が迫り峡谷を形成しているところで瞿塘峡(くとうきょう)・巫峡(ふきょう)・西陵峡(せいりょうきょう)を三峡という。
 君=月のこと。一方で峨眉は元は蛾眉だったため女性のイメージも感じられる。そのあたりは淡いイメージを醸し出される。月のことをあまり君とは言わない。
 渝州=現在の重慶。

大渡河、清渓(楽山県)峨眉山、青衣江、重慶(渝州)、瞿塘峡、巫峡、西陵峡



 (現代訳)
 峨眉山上に半輪の秋の月がかかり、その月の光は平羌江の水の上に映って、ちらちらと流れていくように見える。
 私は夜中に清渓を船出して三峡に向かっていく。
 やがて山がせまり、岸がそびえるにつれて、月はいつしか隠れ
 あの月を見たいと思ったが、ついに見ることができず、渝州に下っていく。



 異説の中には「三峡に向かう」と言いながら「渝州に下る」では重複してしまうのではないか、というのがあります。しかし清渓から三峡まで550キロぐらいあり、渝州から三峡も850キロぐらいもあるので「三峡に向かう」途中で渝州に立ち寄る意であることが有力で、「渝州に下る」で良しとします。


 李白二十五歳ころの作。李白が蜀の清渓の地から希望と不安を抱きながら船出した時の作品。この詩の後出の「早に白帝城を発す」の詩とともに李白の傑作中の傑作。
 峨眉山、平羌江、清渓、三峡、渝州という固有名詞を五つも使っているものの、それらが目障りにならず却って詩のイメージを作り出していること。眉・平・清の文字が月の縁語にもなっている。


 宋の詩人蘇軾に「峨眉山月半輪の秋、影は平羌江水に入って流る、謫仙の此の語誰か解く道わん、請う君月を見て時に楼に登れ」『張嘉州を送る』という詩がある。蘇軾も蜀の人で、李白に傾倒していた。


      (参考:講談社学術文庫)

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