昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

蜀中九日   王勃

 王勃(649-676)は初唐の詩人です。早熟の天才でしたが、少しおっちょこちょいな面があり、王子たちの闘鶏の遊びを煽る文章を書いたため(炎上?)、蜀の地に左遷させられてしまいました。


 その蜀にいる間詠んだ詩があります。


  蜀中九日           蜀中九日


 九月九日望郷臺     九月九日望郷台
 他席他鄕送客杯     他席他郷 客を送るの杯
 人情已厭南中苦     人情已に厭う南中の苦
 鴻雁那從北地來     鴻雁(こうがん)那(なん)ぞ北地より来(きた)る



 蜀=四川省。
 九月九日=陰暦九月九日(太陽暦十月中旬)。重陽の節句。菊花の節句。
 重陽のときは高いところに登って酒を飲むならわしがありました。
 望郷台=玄武山(蜀の東にある)にある高台の名。一説に、随の蜀王秀(しょくおうしゅう)が築いた成都東北部の中江県高台をいう。
 他席他郷=九月九日の用法に合わせたものと思われます。意味はよその土地での宴会。
 人情=作者自身の感情、望郷の念。
 已厭=もうあきあきした。
 南中=ここでは蜀のこと。
 鴻雁=がん(かも)のこと。鴻は雁の大きなもの。
 北地=都の長安、あるいは作者の故郷山西省を指す。


 この詩は重陽の節句に、望郷の念にかられて作ったものです。王勃は蜀に旅して、その地で友人の盧照鄰(ろしょうりん)・邵大震(しょうだいしん)と共に重陽の節句を迎え、酒を酌み交わしました。旅立つ客は邵大震のことだったようです。


 詩自体は絶句ですが、前半二句と後半二句は対句仕立てになっていて全対格です。


 第一句の九月九日と第二句の他席他郷、どちらも九と他を畳みかけています。
 後半の二句も北地を思う自分の心境を、北からやってくる鳥に「どうしてこんないやな南にやってくるんだ」という表現に託しています。



 九月九日という平仄を無視した、むしろ言葉のあやを強調したしゃれた用法です。七言絶句がまだ定まっていない時代でもあり、句中対どころか全対格という離れ技を成した、まさに天才ですが、傲慢な性格のせいでひとには嫌われていたようです。


 王勃は28、9歳で亡くなりました。海に落ちて溺死しました。


 というのも罪を犯した官奴をかくまい、しまいには露見するのを恐れて殺してしまいました。死刑の判決が下りますが大赦をもって救われました。

 ただ父親は連座して交趾(こうち:今のベトナムのハノイ付近)に左遷されました。
 その父親を見舞う途中船に乗るとき南海の海に落っこちて溺死しました。


 天才とおっちょこちょいが共存している例です。
 王勃は20代で亡くなったにもかかわらず初唐の四傑の筆頭として文名が高いです。



    (参考:講談社学術文庫)

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