花林糖売り 唐人飴売り 女飴売り
天保六、七年(1835、36)ころから夜、市中を「かりんとう深川名物かりんとう」と声を高くして何の所作もなく売り歩いてきた。子どもがちょうだいと言うと、八文から二十四文ずつの値に従って袋に入れて与える。かりんを細く切って黒砂糖で煮たようなもので、昼に見かけることは少なく、夜だけ売り歩いていたようである。
右側は志るこ、おしるこ売りもあったようです。
見たところ面白くもないものだが、ただ点したちょうちんの殊のほか大きいのが人目に止まった。
天保十三年まで時々見かけたこともあり、弘化三年(1846)の年にも珍しく道で見たが、多く見なくなってしまった。(『後は昔の夢』より)
しかし、明治になっても売り歩いていました。『童謡妙々車』(安政二年)
唐人飴売り=唐人服に唐人笠、手に唐人の軍配を持っています。後ろの荷箱の上に唐人笛(チャルメラ)が見えます。チャルメラは年季を入れぬと吹けぬものだそうです。
唐人人形の背に歯車が見えます。人形が動いて笛を吹く仕掛けになっているのでしょう。
子どもの註文があれば、出鱈目な唄と踊りで愛嬌をふりまきました。
この唐人飴はぶっかき飴のようですが、天保(1830-44)以降は棒飴を売っています。
もろこしのおんきょくでうるあめんぼう(柳多留)
飴売りの踊りぶつ切り棒に見へ(新編柳樽)
出典ー絵本『英一蝶画譜』(明和七年)
嘉永(1848-54)ころに一人、または三、四人連れだって鉦(かね)を鳴らしながら、越後節などの歌を唄ってきました。
その内に五十歳余りの老女で、おどけ踊りの上手な者がいたそうです。
吹ケバ飛ぶくらし飴屋の半紙凧(新編柳樽)
(飴を買うと景品に小さい凧を出しました)
出典:狂歌本『倭人物』(安政頃)
唐人飴売りの絵で子どもたちが大喜びで笑っているのが印象的です。子どもに限らずですが、江戸時代と感じることなく今を生きているのですから、変わったものを見れば無邪気に笑っていたんだろうな、と想像してほのぼのした気持ちになりました。
(参考:中央公論新社)