鏡に照らす 島田忠臣
島田忠臣は828年に生まれました。祖父の清田は『経国集』の詩人で、忠臣自身は菅原道真の父是善の門下生でした。忠臣の娘は菅原道真の妻になっています。
鏡に我が身を照らして「照鏡」は明鏡の意もありますが、ここは、「照」を動詞に読みます。
照鏡 鏡に照らす
勿論同人與異人 論(あげつら)ふこと勿(なか)れ 同人と異人と、
鏡中鏡外兩般身 鏡中鏡外(きょうちゅうきょうぐわい) 両般(りょうはん)の身
閑亭獨坐無遊伴 閑亭(かんてい)獨坐 遊伴(いうはん)無し
每覓交朋發鏡頻 交朋を覓(ま)ぐ每(ごと)に 鏡を発(ひら)くことを頻る
〈現代語訳〉
鏡に写るのは同じ人かそれとも別人かなどと議論してもはじまらない。
鏡の中と鏡の外には二つの別々の身が存在しているから。
ひっそりした亭(ちん)にひとり坐っているわたしには遊ぶ友もいない。
そうしたときなど交際すべき朋友を求めるたびににしきりに鏡を開いて写る影を友とする。
(鏡中)その一例に空海の「鏡詩」の詩句「我鏡中を見れば吾又鏡に在り、吾は我に非ず是れ何れか真ならん」がある。
(両般身)二つの別々の身。「般」は物事を数える語。
(閑亭)「亭」は母屋より少し離れたところにある小さい建物。
(発✔鏡)鏡が箱の中に収められたり布などに包まれているために開くといったもの。結句にやや滑稽味を帯びた哀愁が漂う。
(参考:岩波書店)