北里歌 四 市河寛斎
市河寛斎の北里歌は三十首ありますが、その四を紹介します。
四 四
銀燈院々暗残光 銀燈 院々 残光暗く
跡断春風響屧廊 跡は断ゆ 春風の響屧廊(きょうしょうろう)
雲雨枕頭宵撃柝 雲雨枕頭(うんうちんとう) 宵に柝(き)を撃ち
不教郎夢到高唐 郎(ろう)の夢をして高唐に到ら教(し)めず
銀燈=明るく輝く燈火。
院々=遊女のいるところ。
響屧廊=屧廊は廊下。吉原の遊女屋では、遊女は素足に上草履をはき、廊下をパタパタと音をさせて歩く風習があったことを踏まえている。その上草履は特に底を重ねた厚いものであったが、厚さは遊女の位によって違い、新造は三枚、部屋持ちは八枚、座敷持ちは十三枚の裏を貼り合わせたものだったという。
上草履
雲雨枕頭=男女共寝の枕もと。楚の懐王が高唐という場所に遊んだ時、昼寝の夢の中で巫山(ふざん)の神女と契った。その神女は帰るに際し、「私は巫山の南の高台に住んでいるが、朝には雲になり、夕べには雨になる」と告げて去ったという。
楚の懐王
巫山の神女
撃柝=拍子木を打つ
吉原の通りの夜回り
拍子木
高唐の夢=男女の情交を意味する。楚の懐王が見た夢。
〈現代語訳〉
さきほどまで明るく輝いていた遊女たちの部屋も、今はもう消え残りの薄暗い燈火をともすだけだ。
春風が吹き抜けたかのような艶めかしさが漂う廊下からも、遊女たちの上草履の音が聞こえなくなった。
客と遊女の共寝の枕もとに夜回りの拍子木の音が響くので、
遊客はなかなか高唐の夢を結ぶことができない。
(参考:岩波書店)