都電、バスの思い出
青山通りは昭和38年ごろ拡幅されたと思います。それ以前、表町から渋谷に出かけるときは都電に乗って行ったと思います。
青山六丁目という停留所があって、その付近に青山操車場が見えました。門があって車両が並んでいるのを電車内から眺めて子ども心に物々しいと感じました。
現在は青山劇場ですか、こどもの城があってけっこう目立つスポットになりました。地下鉄「表参道」駅からも近いです。子どものころは「神宮前」という駅でした。戦前は「青山六丁目」という駅名だったようです。
近年骨董通りなどと呼ばれている道路へは8番線(長らく6番線と思い込んでいました)の都電が曲がって行き、新橋駅行きと書いてありました。これは六本木を通ったと思います。現在でも路線バスで残っていると思います。
幼稚園で同級だったWさんは骨董通りの交差点で都電を乗り換えていたのかなと思います。平河町から乗ってぼくは表町で降りてしまいます。当時彼女は青山高樹町に住んでいました。ぼくはアッコちゃんと呼んでいました。可愛い子だったので、真ん前に立つようにしていました。1歳上の青山の瀬戸物屋の息子が横から押してくるので思わずぼくは「君もこの子が好きなの?」と言いました。乗客の大人たちは笑っていました。
渋谷でよく見かけたのはトロリーバスです。乗った覚えはほとんど無いですが、池袋駅行きのトロリーバスが駅から明治通りを走っていくのを何度も見かけました。