昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

祖母からおこづかいをもらう

 4、5歳のころと思います。祖母が勤め先のM信用金庫にぼくを連れていってくれました。社内を見渡しても子どものことで何が何やら判りません。たまたまその日は外交が無かったのかもしれません。祖母は事務的作業を終えていっしょに家に帰ってきました。
 信用金庫は赤坂通りに面した赤坂新町(赤坂5丁目)にありました。TBSの角を曲がって一ツ木通りを歩き丹後町の路地に入りました。この辺は4丁目です。結帯本家のK屋や長崎カステラ本家F屋の路地です。それと丹後町の名前の由来でしょうか、丹後坂が右手にあります。坂と言っても路地に面して広めの階段になっていて風情があります。ずっと昔から階段だったかどうかは不明です。
 丹後町から表町の路地に入ってふたり手を繋がんばかりに歩いている時、祖母は500円をくれました。そのころ五百円玉があったかどうか記憶があいまいで確認していませんが、五百円玉だったような気がします。今考えれば手渡すタイミングが絶妙だったと思います。それに当時の500円は子どもにとってかなりの金額です。思わずぼくの口からお世辞が飛び出ました。
「やっぱりぼくはおばあちゃんが一番好きだよ」
 この一言が、後年父がぼくを冷やかすように「〇〇〇はおばあちゃんと気が合うからな」なんてことを言う下地になっていたのかもしれません。母がいつも祖母の悪口を言っていたので、ぼくの一言で祖母は仲間を得た気分になったのかもしれません。実際ぼくは本当におばあちゃん子になりました。
 ですが、もっと深読みすれば父は母親(祖母)からの愛情を取られたような感覚も何分の一か混じっていた可能性があります。

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