昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

給食

 戦後の給食は昭和20年に脱脂粉乳、昭和21年ごろアメリカ的なシチュー、といっても中身はミルクににんじんなどの野菜を刻んだものが入っているだけと聞いていますが、そういうものがN小学校で始まりました。保健のF先生が思い出を語ります。
 「あのころトイレが汚くなったんです。生徒が飲み慣れぬ脱脂粉乳を飲むのでおならや下痢が増えたから。」
 この事実をGHQに相談しました。即却下されました。栄養があるから、と。
 学校給食感謝の歌までできました。大津三郎作曲、原田明俊作詞で、
 「朝から早く 学校で PTAのお手伝い 真心こもる 給食を 共にいただく 昼餉どき みんなで思う 父母の恩 おいしい給食 ありがとう」
 現代でこそ給食はおいしくなったのでしょうが、ぼくらの時代はお世辞にもおいしいとは言えませんでした。毎回残さず食べることはけっこう大変な時もあったと個人的には思います。
 昭和38年脱脂粉乳論争が巻き起こりました。「是」は安全で優れている、「非」は家畜のエサだ、飲み残しが多い、と。60年安保と関係があったと語る人もいます。昭和40年代には牛乳に変わります。
 ちなみに給食の人気メニューは3位が鯨の竜田揚げ、2位は揚げパン、1位はカレーシチューだったそうです。

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