放課後
あのころはのんびりした時代でしたから、塾通いなんてものは受験のためではなく、放課後クラスの友だちに会えるという軽い動機で行ったと思います。学校のような緊張感は無くリラックスタイムでした。
赤坂新町のT君や一ツ木町のY君、同じく一ツ木町の甘味処立田野のIさん、ハッサンなどと赤坂六地蔵(浄土寺)の裏のM塾というところに通っていました。戦前に建てられたのか、そのころすでに古い木造建築の家で小母さん一人で塾を営んでいました。漢字の書き取りなど100問中98点ぐらい採れるちょっと簡単なテストばかりでした。
敢えて塾を変える気もなく、さりとてM塾に居残るという強い気持ちもありませんでした。そういう時にハッサンが四ツ谷駅近くに光文という塾がある、というのでみんなそちらに移るなら自分も行こうと思ってM塾を辞めました。5、6人いっぺんに辞めたのでさぞかし小母さんはショックだったと思います。
光文に通い始めたらクラスメイトの女子たち、Tさんやおかめも来ていました。赤坂より四ツ谷のほうが交通の便が良かったせいか、普段学校でもあまり口を利かない女子もいました。
授業の休み時間、みんなで馬乗りをやっていました。おかめも馬の中に参加していました。ちょっと太めのハッサンが勢いよく飛び乗りました。その瞬間おかめが崩れ落ちました。おかめは足を骨折していました。彼女は学校も休むことになりました。