昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

アベベ

 昭和39年東京オリンピックのころです。小学校の体育の授業で校庭のトラックを何周もするミニマラソン的なことが二週続いたことがありました。
 一週めは偶然体調が悪く教室にひとりぼっちで待機していました。戻ってきた同級生たちは各々にヘタバった様子でした。トラックを何周も走りオリンピックの影響をモロに受けさせられた感を抱いていたでしょう。ハッサンは「カッケなんか泣いちゃうよな」と言いました。
 二週めの授業も同じです。今度はぼくも加わりました。何となく自信のようなものがありました。短距離はリレーの選手に及ばないものの、運動会の徒競走でチャーリーとホッサンが一緒の組み合わせでないときは三度とも1位を取っていました。それにぼくは長距離が得意でした。というのも呼吸法を自己流で編み出していたので。
 ミニマラソンの先頭はチャーリーで二番手はホッサンです。ぼくは三番手四番手あたりを走っていました。そのうちホッサンがバテて脱落しました。続いてチャーリーも脱落します。これは担任のF先生も想定外だったのではないでしょうか。
 ぼくは前を走っていたO君を抜きトップにたちました。クラスの何人も一周遅れで抜いていきました。何人かを抜いてホッサンやチャーリーさえも一周抜きしました。結局N君と二人っきりになりました。一周回るたびにF先生から早くも「アベベ」と声をかけられました。
 とうとうN君も一周遅れで抜き去りました。N君は相当粘ったので二人っきりで何周も走った結果です。抜いた時点で終わりとF先生から通達があったので、ぼくも倒れ込みました。クラスの連中が集まってきて頭上でぼくの意外な健闘を称えました。

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