昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

歌舞伎座

 京橋區木挽町、現在「東銀座」駅近くの歌舞伎座は大正10年に漏電による火災で焼失しました。大正12年に再建し始めましたが、同年9月に関東大震災で中断しました。建設再開の折、二十代前半の祖父は設計で参画しました。祖父は蔵前高校の出身でひとが一週間かかる設計を一日でこなしてしまったと聞いています。
 歌舞伎座は大正13年に再建完成しました。翌14年には建立パーティーが催されました。祖父は大金を得ましたが、家庭を顧みずのちに祖母と離婚しました。祖父は大陸に渡って満鉄(南満州鉄道)に入社しました。のちに兵庫県出身のMさんと再婚しました。Mさんは祖母より一回り下の寅年でした。
 戦時中、父は召集を受ける前に写真でしか知らない祖父に会いに韓国の京城(ソウル)に渡りました。すでに祖父は満州から朝鮮半島に移転していました。Mさんと8歳しか違わない父ははにかんだそうです。Mさんは美人でした。
 祖父とMさんは父と共に日本に帰国しました。やがて終戦を迎え父は戦争から生還しました。戦後の昭和26年、それは朝鮮戦争のころで景気回復はしましたが、祖父は腎不全で亡くなりました。満50歳でした。報せを聞いて父は駆けつけ死に水をとりました。二度めの再会でした。

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