昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

ハイデガー拾い読み

 木田元の『ハイデガー拾い読み』の中で「へー」と思ったところがありました。
 長くキーを叩くのは苦手なので部分的にしか挙げませんので、わかりにくいかもしれませんが、興味を持った方は文庫で500円代の本なので直接当たってみてください。


 第二回「実在性と現実性はどこが違うのか」、という項目の中でカントの『純粋理性批判』に残る誤訳の流れで、デカルトにおけるレアリタス・オブイエクティヴァという文章が出てきます。
 ハイデガーが誤訳したわけではなく、日本人も欧米人も誤訳してきた、というのです。その誤訳をハイデガーが指摘したという話です。


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 神の存在の〈存在論的証明〉を、カントとは違って積極的に肯定したデカルトも、それを論じて『省察』のなかの「第三省察」において、〈レアリタス・オブイエクティヴァ〉とか〈レアリタス・アクトウアリス〉といった概念を持ち出してくる。ラテン語では形容詞が名詞の後に置かれることが多いから、このうちの〈レアリタス・オブイエクティヴァ〉は、カントの〈オプイエクティヴェ・レアリテ―ト〉と、ラテン語とドイツ語の違いはあっても、形の上ではそっくり同じである。だが、その意味はまったく違う。むしろ、逆の意味になるのである。
 それはデカルトからカントまでのあいだに〈オプイエクティーフ〉という形容詞の意味がまったく変わってしまったからである。デカルトの言う〈レアリタス・オブイエクティヴァ〉はスコラ哲学においてと同様に、心に投射(オブイエクターレ)された事象内容、単なる表象作用のうちで思い描かれただけの事象内容、つまりある事象の本質を意味し、〈可能性〉と同義であるのに、カントの〈オプイエクティヴェ・レアリテ―ト〉は客観〈オプイエクト〉のうちに現実化された事象内容を意味し、〈現実性〉と同義である。デカルトにあってカントのこの概念に対応するのは、むしろ〈レアリタス・アクトウアリス〉の方で、これは〈現実化された(アクトウ)〉事象内容(レアリタス)を意味する。


 〈ズプイエクト〉と〈オプイエクト〉の意味の転換


 なぜこんなややこしいことになったのかというと、それは先ほどもふれたように、デカルトからカントにいたる間に、〈オプイエクト〉という言葉、それと同時に〈ズプイエクト〉という言葉の意味が変わった、それも逆転と言っていいような変わり方をしたからである。


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 これ以上はきりがないのでやめときます。「オブ」と「オプ」の違いは発音の違いでつづりは「ob」です。(目がチカチカします)ズプイエクトはサブジェクトに、オプイエクトはオブジェクトに当たると思います。


 前後を読めば理解できると思います。ぼくの理解が間違っている可能性もありますので、その際はご指摘ください。
 もし誤訳だとすれば天野貞祐とか篠田英雄もそういうことらしいです。(本書内に記載あり)高峯一愚さんや熊野純彦に関しては未確認です。

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