良寛 ① 詩
良寛さんは宝暦8年(1758)に生まれました。モーツァルトより2歳下です。長男に生まれましたが後を継がず数え18歳で得度出家しました。自身の人生も波乱に満ちていましたが、数え38のころ、父(60)が入水自殺するという不幸に見舞われます。
良寛の漢詩は難しいものから読みやすいものまであり、ここではわりと親しみやすい感じのものを選びました。
毬子
袖裏毬子直千金
謂言好手無等匹
可中意旨若相問
一二三四五六七
(読み下し文)
袖裏の毬子 直(あたい)千金
謂言(おもえら)く好手にして等匹なしと
可中(かちゅう)の意旨を若(も)し相問わば
一二三四五六七
(意味)
手毬
袖の中の毬は千金の値
見事な手並みはならぶ者なしと思っている
そこの極意をお尋ねとあらば
ひぃふぅみぃよぉいつむぅなな
袖の中の毬=良寛が持ち物の品目を自書したメモに頭巾、手ぬぐい、鼻紙、扇などと共に「てまり」と書いてある。
そこ=原文「可中」は正しくは仮定を表わす副詞で「もし」の意。これを日本の禅家は誤って「箇中」と同義に用いる。
良寛のイメージは太った人と漠然とだいぶ前思っていましたが、面長で当時としては長身な感じなのでひょろっとしたタイプだったのではないでしょうか。
(参考:良寛詩集 )