昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

夏目漱石の漢詩

 夏目漱石は晩年一日一句漢詩を作っていました。俳句より漢詩のほうが親しみを感じると正岡子規への手紙に書いています。

 東京帝大に入る前に二松学舎に漢文を学びに通っています。漱石の年代は幼少から漢文は習っていたと思いますが、二松学舎でさらに強化したのだと思います。


 明治43年9月22日の漢詩


 無題


 圓覺曾參棒喝禪
 瞎兒何處觸機緣
 靑山不拒庸人骨
 囘首九原月在天


 「読み下し文」
 円覚に曾(か)って参じぬ 棒喝(ぼうかつ)の禅、
 瞎児(かつじ)は何処(いづこ)にか 機縁に触れん。
 青山は拒まず 庸人(ようじん)の骨を、
 首(こうべ)を九原(きゅうげん)に回(めぐら)せば 月 天に在り。



 曾って私は、円覚寺に出向いて臨済のきびしい禅風に参じたものである。が私は、瞎児同然血のめぐりが悪いので、どこへいってもさとりの機縁に恵まれなかった。
 だが、人間の行きつく場といわれる墓地は、この煩悩具足の凡夫である私ごときものの骨でさえ受け入れて下さるべく待ちかまえている。しかしこのたびは、その青山に招かれずに相いすむこととなった。
 つらつら懐(おも)うのに、彼の闇(くら)いはずの黄泉(よみじ)が、どうしたことか、皓々(こうこう)たる月が天に輝いているかのように思えてくる。


                  (参考:漱石詩集飯田利行)

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