昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

わたらせ渓谷鐵道(渡良瀬川)

 わたらせ渓谷鐵道(群馬~栃木)はレトロな車両で趣きがあります。何度か乗りました。初めて行った日、一旦東京へ戻って翌日また行ったことがあります。今や脳梗塞の後遺症で乗れませんが、時々風景を想い出して懐かしがっています。


 三度めぐらいの時、ちょうど中国人観光客の団体と乗り合わせて彼らが大声で喋っていた光景を思い出します。その時だけは不愉快になりました。昨今の爆買いの言葉もまだない7、8年前のことです。


 せっかく昔風の列車(といっても一、二両ですが)に乗ってガタゴト揺れながら、窓外の山あいや森林、渓谷を楽しんでいたのに旅の思いが全部吹き飛びました。


 ぼくは浅草から行って桐生駅で乗り換えてわたらせ渓谷鐵道に乗り込んだのですが、中国人観光客はぼくが腰かけた後乗ってきました。彼らは窓外の風景には全く興味がないようでお互いにペラペラ喋りまくっていました。



 彼らは神戸(ごうど)あたりでいっせいに降りました。そのとき初めて気づいたのですが、日本人女性が引率でした。女性は決まり悪いような表情で中国人たちに号令をかけて降車を促しました。注意しても言うことを聞かない性格だと知っていたからでしょうが、そのころはまだぼくも彼らがそういう性格だと知らなかったので何て不甲斐ない引率だと呆れ返っていました。


 渓谷鐵道はさらに沢入(そうり)、原向、通洞(つうどう)、足尾、間藤(まとう)と行きます。間藤が終点です。


 間藤の先へはタクシーに乗っていくと(通洞でタクシーに乗るのが便利)、庚申山とか皇海山が見えてきます。庚申山と皇海山の向こう側は中禅寺湖があります。


 タクシーの運転手さんを待たせて松木渓谷を歩いたことがあります。渡良瀬川の浅瀬の石や砂利の足元を確かめながら渡ったりして写真を撮りました。


 1時間ほどで戻るからと言伝て、山の中をずっと奥まで歩いていったこともあります。
 山とか谷というのは引き込まれるような魅力がある、とその時初めて知りました。運転手さんを待たせていなかったらずっとどこまでも行きたい気持ちでした。


 渓谷に掛かっている橋のすぐ手前にも一般住宅が建っています。運転手さんと同行して道を訊いたりしました。山あいに住んでいても都会人と変わらぬ格好の人が出てきました。ぼくが首から提げていたライカを興味ぶかげに見ていました。


 山より手前にダムがあって近くの記念館に寄って見学したこともあります。熊よけの鈴なんかも売っていました。


 それ以来山には神がいて昔の人は信仰心を持っていたというのが納得できました。本当はハイキングみたいな感じで山の稜線を歩いてみたいと思っていましたが、それさえも今は叶わぬ夢です。


 わたらせ渓谷鐵道は大正3年に創建されたので東京駅駅舎建築と同じ歳です。

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