昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

菊地雅章 Masabumi Kikuchi

 菊地雅章の「エンド・フォー・ザ・ビギニング」というアルバムの「ベル」を聴くと新宿の街を想い出します。

 スナックかバーで夜明けまで呑んでしまって、枯葉の舞う路地を歩いている職業不明の男。学生運動も終わった、これからどうやって生きていこうかなどとシケモクの煙で顔を歪ませている主人公。どこか劇画の一場面にありそうです。

 「ベル」は菊地のピアノが秀逸すぎて鳥肌が立ちます。


 このアルバムは1973年にビクタースタジオで公開録音したものです。メンバーは菊地雅章(p)、峰厚介(ss)、宮田英夫(ts,fl)、鈴木良雄(b)、村上寛(ds)です。

 ビクタースタジオというとパッと浮かぶのは千駄ヶ谷のあのトンネルのところです。上が墓場になっているのでスタジオで録ったレコードには女性の泣き叫ぶ声が入っていたなんて都市伝説もあります。


 アルバム一曲めの「驟雨」は少し退屈です。同じミディアムテンポでずっと終わりまでいくのです。80年代以降なら途中で速いフォービートの展開があって後半またミディアムに戻るでしょう。それでも14分は長い。半分の時間で済むはずです。日本人はロックでもジャズでも展開がのろいです。

 「銀界」は日本的でもありますが、いい緊張感もあり退屈させません。インプロヴィゼーション的な展開もあって主題に戻ります。


 菊地雅章の雅章を「まさぶみ」と読むのを知ったのは、ちょうどこのアルバム録音時1973年ごろです。プーサンこと菊地が渡米する直前でした。ジャケットの写真はスタジオなんでしょうか、「禁煙」と貼ってある真下で壁に寄りかかって5人全員が煙草を手にしています。このころはまだまだ煙草を吸うのは当たり前でした。女性でも財布と煙草だけ持って出かける人もいました。

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