昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

バブルの思い出

 バブル期というと不動産屋の営業マンの中には平成元年つまり1989年と言う人がいます。でも実際のバブルは昭和60年つまり1985年ごろに兆しはありました。

 というのも昭和61年に亡くなった父が地価の上昇の話をしていたからです。都市伝説的には森ビルの土地が最初に上がったと伝わっています。


 実際に世田谷の土地は昭和61年ごろに坪200万になっていました。そして昭和62年には坪600万になっていました。単純計算でたった1年で三倍です。もし100坪の土地なら二億から六億で四億の違い。これはバブルと言っても差し支えないでしょう。

 その後も土地は上がり続け、同じ年の昭和62年に坪800万になりました。港区白金の大きくもない不動産業者は転売して二億収入を得ました。税金75%支払ったとしても5000万は所得があったことになります。ほんの1、2か月土地を転がしただけです。

 世田谷の地元の小さな不動産屋も手数料だけで4000万近く稼いでいます。


 ですが実際土地を売ったり買ったりした方は儲けなんてありません。小切手に数字が書いてあるだけで、現金ではないのです。だから手数料とか印鑑登録手数料とか税金とかで儲けたのは周辺だけです。


 それと少しヤバそうな話は、生保レディーに薦められて行ったセミナーがありました。九億借金しなさい、十五億で札幌と博多にマンションを買ってオーナーになりなさい。借金をすれば相続税はかからない、マンションの賃料で利回り計算すると数年で返せます、という話です。セミナーはある公認会計士が開いたものですが、知り合いの公認会計士に相談したところ、自分もそのセミナーを聞いてみたいと言うので、知人としてセミナーに潜り込ませました。広い会場にざっと80人~100人近く一般人が参加していました。

 セミナーは相続税対策:スイスフラン建ての事業用買い掛け特例というテーマでした。そこで習得した内容を知り合いの公認会計士の教室で講義までしました。受け売りです。バブルの真っただ中はバブルと気づきません。バブルがはじけてバブルだったと知るわけです。地価も上がりつづけるものと思っていたのでセミナーも信じていたのです。だますつもりもだまされるつもりもありません。みんなが浮かれていたのです。

 でもうちはその話に乗りませんでした。それで無事にバブル崩壊を乗り切れたのです。

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