フォーレ ピアノ五重奏曲 ③
ティッサン・ヴァランタンは1902年7月生まれでうちの祖母と同じ歳です。オランダ人の血が流れています。
アンリエット・ピュイグ・ロジェ女史は東京文化会館音楽資料室で偶然お見掛けしてお声をかけたことがあります。助手さんと来られていてレコードを試聴していました。
ぼくは手帳にメモ書きして手渡しました。上野駅の公園口の改札口までお供して話しました。
「ドリー」の連弾を聴いたこと、フォーレのピアノ五重奏曲演奏会をやってください、という旨を走り書きして片言のフランス語の単語を言って渡しました。
女史のコンサートも出かけました。
草月ホールでラヴェルの連弾曲の演奏会でした。別のコンサートで女史が観客として来られていることもありました。お付きはピアニストの藤井一興氏でした。
ある時図書館で「音楽の友」のバックナンバーを見ていて、コンサート情報の欄に女史と安田四重奏団の共演でフォーレのピアノ五重奏曲コンサートがあったことを知りました。
僕が文化会館で手渡した内容に安田四重奏団と共演してください、とあったのです。それを本当に実現されていることにびっくりさせられました。
バックナンバーですから当然後の祭り、見られませんでした。住所を明記していたのにコンサートのパンフレットを送ってもらえなかったのです。
なぜぼくが安田四重奏団を推したかというと「矢代秋雄室内楽」というレコードを聴いていたからです。そのアルバムでピュイグ・ロジェ女史は安田氏と共演していたのです。
それとフォーレのピアノ五重奏曲第一番は草月ホールで安田四重奏団を生で聴いた経験があります。大いに感動したのを憶えています。