昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

バンド ⑤

 昭和54年から55年にかけてだと思いますが、ジャズ雑誌でメンバー募集していたので応募してみました。いつかぼくが募集したときに電話してきたサックスのNさんです。


 最初に会ったのがどこだったか定かではありませんが、ジャズ喫茶だとすれば杉並区です。Nさんのトリオの演奏を観に行きました。でもスタジオのほうが先だったかもしれません。そのあたりは相前後していました。スタジオは中野区にありました。安いけれど狭くて汗臭いスタジオでした。


 Nさんは新しいバンドを作るつもりのようでした。ぼくはベースで参加しました。あとドラムがもうひとりのNさんで、ピアノのKさんとシンセのSさんという編成です。
 曲ごとにテーマというかリフがあって、その後はフリーインプロヴィゼーションです。


 完全フリーではないです。ぼくらを信用していなかったのか、Nさんに自信がなかったのか、判りませんが、バンド解散までとうとう完全フリーというのは記憶にないです。


 どうやらフリー志向というのは建前で実はジャズをやりたかったようです。ベースはこうやってくれとか言い出していました。それでいてNさん自身はジャズ的イディオムを一向に吹きません。正確に言えば吹けないのです。そこはW市のHと似ているのですが、ジャズっぽいフレーズが全然出てこないのです。
 バスクラに持ち替えても同じです。エリック・ドルフィーのように吹けとは誰も言いません。でもバスクラ特有のムードってあるじゃないですか。それがないんです。
 そもそもサックスがコルトレーン風でもアンソニー・ブラックストン風でもありません。敢えて言えばチンドン屋さんです。
 笑えません。メンバーにとっては鬱々として厄介な問題です。
 ただいい経験はさせてもらいました。吉祥寺のライブハウスで豊住芳三郎と共演できました。Nさんは有名ミュージシャンと知り合いのようでした。講釈だけはすごいんですよ。営業マンですから。


 脱退はぼくのほうからでしたが、バンド自体が解散になりました。でもケンカしたわけではないので35年ぶり40年ぶりにどこかでお会いしても笑って話せると思います。

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