青山一丁目~権田原~慶応病院
ぼくが3才ぐらいのころ父が自然気胸で倒れたことがありました。
バスに乗って一番前の運転手さんのすぐ後ろに立っていたそうなんですが、バスの前を急にリアカーが通ったそうです。バスが急ブレーキをかけたので、父はしこたま胸を打ったんです。
救急車で慶応病院に運ばれ今夜が山まで言われたのです。抗生物質を注入され命に別状は無かったのですが、個室の差額ベッドに入院しました。
ぼくは母に手を引かれ青山一丁目の停留所まで歩き都電に乗りました。途中権田原を通り信濃町の慶応病院まで行きました。
旧館の2階の奥から2番目の部屋と覚えていましたから、母の手を振り払って父の寝ている部屋に入りました。お付きの人は年配のHさんというオバサンでした。
個室にはみかんが山と積まれていました。のどが渇いていたので「このみかんどうしよう」と遠回しに訊いたものです。
前の年か前々年ぐらいに草月会館が建つのに、水道管をうちの庭の下を通させてくれと持ち掛けられていました。うちは当時の50万円の言い値で取引していました。