昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

妄想 森鴎外  を読む

 森鴎外の「妄想」はエッセイのようであり、私小説、詩のような部分もある。鴎外は夏目漱石ほど人気はないが、漱石より魅かれるところがある。
 下部に挙げる文脈でそのわけが判ったような気がした。文中のハルトマンはエドゥアルト・フォン・ハルトマンのことだと思われる。



 形而上学と云ふ、和蘭寺院楽(オランダじゐんがく)の諧律(かいりつ)のやうな組立てに倦(う)んだ自分の耳に、或時ちぎれちぎれのAphorismen(アフオリスメン)の旋律が聞えて来た。
 生の意志を挫(くじ)いて無に入らせようとする、ショオペンハウエルのQuietiveクヰエチィフに服従し兼ねてゐた自分の意識は、或時懶眠(らんみん)の中から鞭うち起された。
 それはNietzscheニイチェの超人哲学であった。
 併しこれも自分を養ってくれる食餌ではなくて、自分を酔はせる酒であった。
 過去の消極的な、利他的な道徳を家畜の群の道徳としたのは痛快である。同時に社会主義者の四海同胞観(しかいどうはうくわん)を、あらゆる特権を排斥する、愚な、とんまな群の道徳としたのも、無政府主義者の跋扈を、欧羅巴(ヨオロッパ)の街に犬が吠えてゐると罵ったのも面白い。併し理性の約束を棄てて、権威に向ふ意志を文化の根本に置いて、門閥の為め、自我の為め、毒薬と匕首(ひしゅ)とを用ゐることを憚らないCesareBorgiaチエザレボルジアを、君主の道徳の典型としたのなんぞを、真面目に受け取るわけには行かない。その上ハルトマンの細かい倫理説を見た目には、所謂(いはゆる)評価の革新さへ幾分の新しみを殺(そ)がれてしまったのである。
 そこで死はどうであるか。「永遠なる再来」は慰藉(ゐしや)にはならない。Zarathustra(ツアラツストラ)の末期に筆を下し兼ねた作者の情を、自分は憐んだ。



(参考:「妄想」森鴎外 青空文庫)

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