昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

松本隆論

 作詞家の松本隆は元はっぴいえんどのドラマーだ。細野晴臣が君は本をいっぱい読んでいるから作詞を頼むと言ったのがきっかけで作詞を試みた。
 はっぴいえんどのアルバム自体の売り上げは大したものではなかったが日本語ロックとして伝説に残った。


 松本が当初こんな日本を代表する作詞家になるなんて誰が予想しただろうか。
 親は官僚、青山生まれの西麻布育ち慶応中等部から内部進学と聞いて誰もがお坊ちゃんを想像するだろう。何で海のものとも山のものとも分からないバンド活動なんてやるなんてこのドラ息子(一応ドラムと掛けてみました)と思ったにちがいない。
 幼い妹を失くした暗さはあるものの何も今でいえばインディーズのような会社からレコードを出すなんて何が悲しくてやるんだろうと思う。


 細野晴臣もけっこうお坊ちゃん育ちだが、松本はちょっと違う。情があるのだ。細野が毛嫌いするたくろうと仲良しで仕事も一緒にやった。鈴木茂が大麻で捕まったときも身元引受人になったのは松本である。
 細野の松本と初対面のときの印象はキザな自信家風でバンドをやらないかと持ち掛けられたという。慶應のパーティーにも細野を誘ってバンド活動をした。だからか当時のロック雑誌には細野の出身大学も慶応と記述されたぐらいである。


 だが、エイプリルフールのキーボード奏者柳田ヒロによるとはっぴいえんど結成時、細野はドラムは林立夫と想定していたらしい。もしドラムが林だったらああいう詞は生まれなかっただろうし、伝説のバンドにならなかっただろう。ここは細野の計算ちがいと言うべきか。
 やはりバンドというのは自分らのやりたいことをやると売れない。誰かにせがまれてイヤイヤやって売れる場合が往々にしてある。


 そこまではさすがの細野も読めなかったというべきか。


 通称「ゆでめん」の1stアルバムの録音にはスタッフの一人に早川義夫もいてあまりの下手さに呆れてスタジオを飛び出した、と聞くが録音のせいもあるかもしれない。楽器のせいか。確かにバンドとしてのサウンドはあるが、録音の悪さは否めない。


 鈴木茂は松本のドラムを高く評価している。松本さんのキック(バスドラのこと)が強いから・・・。元々鈴木は林立夫や小原礼とバンドをやっていたのだからその辺りは細野と若干見解が異なるわけだ。


 鈴木茂の歌の中には細野と大瀧の不仲を憂う詞も含まれている。


 そういうことから気にくわない人と仕事をやると意外な成果が、それも人生を左右するような偶然も含まれているのだ、と思う。

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