昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

瑳峨三智子

 Amazonを検索していたら市川雷蔵と瑳峨三智子の「女狐風呂」が目に入った。記憶によるとモノクロのはずだと思い、確認したところやはりモノクロだった。


 同時に目に飛び込んできたのは同じ配役で「蛇娘様」だった。これはカラーだ。


 「女狐風呂」は昭和33年で「蛇姫様」は昭和34年である。「女狐風呂」も「蛇姫様」も見たことがない。どうせ娯楽時代活劇を見るならカラーのほうがいいと思ってポチッた。


 瑳峨三智子の「裸体」は見たことがある。作品は昭和35年だが、見たのは昭和44年のテレビでだ。記憶に残っているわけは中3の男子にはとても刺激的な映画だったからだ。


 昭和44年といえば学生運動もまだ盛りで日本が騒乱のリアルタイムだった。それにしても妖艶な女優瑳峨三智子の全裸が写る映画がゴールデンタイムに放映されるぐらい不思議に自由であったのだ。


 放映の翌日はクラス中で話題持ち切りだった。やはり中3男子としては自然にチャンネルを合わせてしまう。入浴シーンがあったのだからびっくらこいた。


 昭和38年ごろ小3の9歳に瑳峨三智子と同年生まれの女性のシャワーシーンを生で見たことがある。銀座のホステスだった。後姿だった。
 近年は昔より実際の犯罪数は減っていて、昭和30年代を美化しすぎると若者から批判されるが、東京のど真ん中で昼間に玄関扉に鍵をかけずシャワーを浴びるのだから治安が悪かったはずはない。


 ホステスとしてはとうが立ってしまっていたが、そうは言っても20代である。その女性もすでに整形していた。
 瑳峨も後年ホステスに成り下がったようだが、整形は流行っていたのかも。


 1973年ごろのTVガイドの特集別冊付録にはスターのプロフィールが載っていて、そこには昭和14年生まれとなっていた。亡くなった後は昭和11年生まれになっていた。
 最近のwikipediaには昭和10年生まれになっている。


 破滅型女優としては一番であり美貌でも一番だったかもしれない。だったかもしれないというのは整形さえしていなければ、ということ。整形前は本当に美しかったという。


 整形の時期が「女狐風呂」の後か「こつまなんきん」の前あたりかファンの間でも意見が分かれる。「蛇姫様」(昭和34年)を見れば範囲は狭まれる。



 なぜか「蛇姫様」が瑳峨三智子のところには載っていない。市川雷蔵主演ということか。雷蔵も39ぐらいで亡くなっているから瑳峨よりうんと早死にだ。


 瑳峨は当初嵯峨美智子だったが後に瑳峨三智子になった。占いでも見てもらったんだろうか。
 山田五十鈴がトップ女優であり演技ナンバーワンだったので長年重荷だったんだろうと思われる。


 瑳峨が年代のわりに背が高かったのは父親月田一郎が長身だったからだろうと言われている。

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