惟(ただ)、酒は量なし、乱に及ばず
『論語』の「郷党」篇に孔子の食生活やお酒の飲み方など書かれていますので紹介します。
公の場でごはんは精白されたものを好んで食べていました。牛、羊、魚の生肉は細かくきざんだものがよしとされました。
ごはんが饐えて味が変わったものや魚のくずれたもの、肉の悪くなったものは食べられなかったようです。(現代では当たり前ですが、冷蔵庫が無かった時代、饐えたごはんを水で洗って食べたり糊を作ったりした人もいました)
食物の色の悪いのは食べず、臭いの悪いのは食べられませんでした。煮物の生煮えや煮過ぎたものは食べられませんでした。
季節はずれのものは食べません。肉が正しくさばかれていなければ食べず、食物にふさわしいソースが付いていなければ食べませんでした。肉料理は多く出ていても、ごはんよりたくさん召しあがることはありませんでした。
酒量は定まっていませんでしたが、酔って乱れることは決してありませんでした。自家製以外の、市販の酒や乾し肉は摂りませんでした。添えられたショウガは除かれないが、多くは召しあがりませんでした。
お酒の量について、朱子の解釈では適当に酔うだけだったとするものですが、中野孝次(『清貧の思想』の著者)は、孔子は酒に強くいくら飲んでも酔って乱れることはなかった、と解釈しています。
ついでお酒について:
先ほどの「郷党」の終わりの「自家製以外の、市販の酒や乾し肉は摂らず」は、
『義疏(ぎそ)』に「酒みずから作らざればすなわち未だ必ずしも清浄ならず、脯(ほ)はみずから作らざれば、すなわち何物の肉かを知らず」とあります。
当時から市販の酒はどうやって作られたか知れぬものがあり、乾し肉やソーセージ類は何の肉で作られたか得体の知れぬものがあった(中野氏記述)そうです。
だから自家製しか信用できなかった、ということです。
また、食事中はおしゃべりしなかった、という記述も指摘されています。
(参考:『中野孝次の「論語」』)