踊りは興味ないけど、三味線や琴の響きと歌がいいなと思って。 VTS 01 1 さっき見かけていいなと思っただけです。 たぶん無いと思うけどCDあったらポチりたいと思いました。
江戸のブログ記事
江戸(ムラゴンブログ全体)-
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柏木如亭の『詩本草』から「笋」(たけのこ)についてのエッセイを紹介します。 笋 村居(そんきょ)自(おの)づから山を看る福有り 又た喜ぶ 今朝野珍を嘗(な)むるを 屋外の霜筠(さうゐん) 犢角(とくかく)を生ず 雪天 時新と称するを屑(いさぎよし)とせず ... 続きをみる
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天保六、七年(1835、36)ころから夜、市中を「かりんとう深川名物かりんとう」と声を高くして何の所作もなく売り歩いてきた。子どもがちょうだいと言うと、八文から二十四文ずつの値に従って袋に入れて与える。かりんを細く切って黒砂糖で煮たようなもので、昼に見かけることは少なく、夜だけ売り歩いていたよう... 続きをみる
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迎え火 迎え火 江戸では身分の高い武家や筋目の高い町家では、魂迎えをするために、各々の檀那寺へ行きます。墓前に灯火をささげ礼拝をして、まるで生きた人を迎えるように、家紋のついた弓張提燈をともして道の上を照らし、魂迎えをしました。 一般の町家では、主人が着流し羽織姿で、家の者と一緒に玄関まで... 続きをみる
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梁川紅蘭は梁川星巌の妻です。中国風に張紅蘭とも名乗っていました。19世紀初めの生まれで、文政七年(1824)の21歳作の「夏日閒詠」を紹介します。 夏日閒詠 夏日閒詠 倦抛鍼線慵重理 倦みて鍼線を抛(なげう)ちて 重ねて理するに慵(ものう)し 汗珠透衣睡方起 汗珠(... 続きをみる
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宮沢雲山は安永九年武蔵国秩父に生まれました。現在は埼玉県にあたります。 文化十二年に雲山は北遊から戻って江戸に出ました。北原秦里、梁川星巌と共に『今四家絶句』を選輯(せんしふ)しました。 今四家とは市河寛斎、大窪詩仏、菊池五山、柏木如亭のことです。雲山は寛斎の門下です。 梁川星巌は西遊する... 続きをみる
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市河寛斎の北里歌は三十首ありますが、その四を紹介します。 四 四 銀燈院々暗残光 銀燈 院々 残光暗く 跡断春風響屧廊 跡は断ゆ 春風の響屧廊(きょうしょうろう) 雲雨枕頭宵撃柝 雲雨枕頭(うんうちんとう) 宵に柝(き)を撃ち 不教郎夢到... 続きをみる
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ゴキブリ対策のためにコン〇ットの類似品を買って寝室とキッチンと洗面所に置きました。あの日以来見ていません。 同時にコバエ対策に〇―ス製薬の〇ポナをノートパソコンの脇に置きました。匂いはいいです。アクアソープの香り。 でもコバエには効きません。〇ポナの脇を何食わぬ顔でコバエが散歩しています。ヘ... 続きをみる
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さっきMXの番組宣伝でちらっと見たので検索してみました。出てきた出てきた。 大奥にはうちわの扇風機があったんです。 うちわの向きを変えて復元したもの、ですね。 江戸のスポーツドリンク この絵は昭和初期の風鈴売りです。赤坂では昭和40年ごろコロンビアの狭い坂を下りたふもとで風鈴屋さんを見か... 続きをみる
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柏木如亭の『詩本草』から「いな」を挙げます。 鯔(いな) 遊讃既に倦み、舟を買ひて備に回(かへ)る。時に十二月十五、天晴れ風静かにして、大小の諸島争ひて図画を献ず。 舟中復た一点の寒無し。乃(すなは)ち居停(きょてい)主人餽(おく)る所の鯔(いな)を焼いて晩食す。 その味奚(なん)ぞ止... 続きをみる
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中島棕隠の京都の風情を詠った詩です。 鴨東四時 鴨東四時雑詞(おうとうしじざつし) 其九十一 其の九十一 繊手鳴刀各慣忙 繊手 刀を鳴らして 各々忙に慣る 店頭菽乳照紅裳 店頭の菽乳(しゅくにゅう) 紅裳(こうしょう)を照す ... 続きをみる
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館 柳湾は名は機、字は枢卿で、宝暦十二年(1762)新潟に生まれました。一生を幕府郡代の属史として過ごしました。 柳湾は謹直な官吏であったばかりでなくきわめて口数の少ない寡言の士でもあったらしいです。 詩集は三冊あって『柳湾漁唱』『柳湾漁唱ニ集』『柳湾漁唱三集』です。 晩年、江戸の目白台に... 続きをみる
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大窪詩仏の『卜居集』の中の「晩帰品川」を紹介します。 大窪詩仏 江戸品川高輪 晩帰品川 晩(くれ)に品川に帰る 烟霧高輪暮 烟霧(えんむ) 高輪の暮(くれ) 前途更渺茫 前途 更に渺茫(びょうぼう)たり 潮来呑欠岸 潮(うしお)来(きた)りて... 続きをみる
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大田南畝は1749年生まれ、蔦屋重三郎は1750年生まれ、山東京伝は1761年生まれとほぼ同年代に生きた文人です。 TSUTAYAは蔦屋重三郎に関係ないとのことですが、あやかったそうです。 ちょっと上の世代に唐来三和1744年もしくは1749年、恋川春町1744年、木村蒹葭堂1736年、上田... 続きをみる
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平田玉蘊は天明七年(1787)に広島尾道の木綿問屋福岡屋の二女(長女は夭逝)として生まれました。 名は豊または章(あや)。4歳下に妹庸(=玉葆)がいます。 玉蘊は頼山陽の最初の恋人と思います。山陽は玉蘊に出会う前に結婚はしていました(梨影とは再婚)が、脱藩騒ぎで幽閉されて数年籠っていました。... 続きをみる
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頼山陽と江馬細香が男女の仲になったとされる嵐山での花見の詩を紹介します。 「武景文、細香と同じく、嵐山に遊び、旗亭に宿す」 山色稍暝花尚明 綺羅分路各歸城 詩人故擬落人後 呼燭渓亭聽水聲 擬=ぎ、なぞらふ (読み下し文) 山色稍(やや)瞑(くら)くして、花尚(なお)明らかなり。 ... 続きをみる
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秋山玉山(1702-1763)の漢詩を紹介します。 美人の顔半分が見えたという詩です。 無題 秋山玉山 美人下空階 猶掩氷紈扇 忽被軽風吹 容易見半面 五言絶句です。 韻は扇と面です(去声十七霰)。一句めは韻を踏みません。三句めは転句です。 「読み下し文」 美人 ... 続きをみる
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色っぽい漢詩を紹介します。先に現代語訳から、 酔美人が夜明けに、悄然と寝室を脱け出て庭に立つ。高い梢のうえの月が、寝乱れた化粧の顔を照らす。花に置く露をすすって、酔を醒まそうとすると、一面の薔薇の匂いに、更に酔ってしまう。 蓮歩悄トシテ移シテ、暁房ヲ離ル。高悄ノ落月、慵粧ヲ照ラス。花辺ニ... 続きをみる
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