昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

江戸のブログ記事

江戸(ムラゴンブログ全体)
  • 長唄「都鳥」

     踊りは興味ないけど、三味線や琴の響きと歌がいいなと思って。 VTS 01 1  さっき見かけていいなと思っただけです。  たぶん無いと思うけどCDあったらポチりたいと思いました。

    nice! 18
  • 笋(たけのこ)   柏木如亭

     柏木如亭の『詩本草』から「笋」(たけのこ)についてのエッセイを紹介します。    笋  村居(そんきょ)自(おの)づから山を看る福有り  又た喜ぶ 今朝野珍を嘗(な)むるを  屋外の霜筠(さうゐん) 犢角(とくかく)を生ず  雪天 時新と称するを屑(いさぎよし)とせず              ... 続きをみる

    nice! 18
  • 花林糖売り 唐人飴売り 女飴売り

     天保六、七年(1835、36)ころから夜、市中を「かりんとう深川名物かりんとう」と声を高くして何の所作もなく売り歩いてきた。子どもがちょうだいと言うと、八文から二十四文ずつの値に従って袋に入れて与える。かりんを細く切って黒砂糖で煮たようなもので、昼に見かけることは少なく、夜だけ売り歩いていたよう... 続きをみる

    nice! 23
  • 送り火迎え火・盆灯籠・玉菊灯籠

     迎え火  迎え火  江戸では身分の高い武家や筋目の高い町家では、魂迎えをするために、各々の檀那寺へ行きます。墓前に灯火をささげ礼拝をして、まるで生きた人を迎えるように、家紋のついた弓張提燈をともして道の上を照らし、魂迎えをしました。  一般の町家では、主人が着流し羽織姿で、家の者と一緒に玄関まで... 続きをみる

    nice! 14
  • 江戸の月見

     『江戸自慢』には以下のような記述があります。  「八月十五夜、九月十三夜も同様ニ而、芋、枝豆、団子を備へ、片月見る事を嫌ふ。団子の形ㇵ丸くして大小二品を備へり。月の大小ニ像るにや。月ㇵ本来形丸ければ、丸く製するㇵ相応に而面白し。若山ニは本太く末劣り、男児の陽物ニ似て、五月の団子ニ同じ製なり。月は... 続きをみる

    nice! 19
  • 夏日閒詠   梁川(張)紅蘭

     梁川紅蘭は梁川星巌の妻です。中国風に張紅蘭とも名乗っていました。19世紀初めの生まれで、文政七年(1824)の21歳作の「夏日閒詠」を紹介します。    夏日閒詠       夏日閒詠  倦抛鍼線慵重理   倦みて鍼線を抛(なげう)ちて 重ねて理するに慵(ものう)し  汗珠透衣睡方起   汗珠(... 続きをみる

    nice! 24
  • 夏日の作   梁田蛻巌

     梁田蛻巌の夏日作を紹介します。   夏日作      夏日の作  風簾揺返照   風簾(ふうれん) 返照(へんしょう)を揺らす  柯影舞如人   柯影(かえい) 舞いて人の如し  石鼎茶前水   石鼎(せきてい) 茶前(ちゃぜん)の水  衣桁浴後巾   衣桁(いこう) 浴後の巾(きん)  琵琶湖... 続きをみる

    nice! 21
  • 貧甚だし 戯れに絶句を作る  宮沢雲山

     宮沢雲山は安永九年武蔵国秩父に生まれました。現在は埼玉県にあたります。  文化十二年に雲山は北遊から戻って江戸に出ました。北原秦里、梁川星巌と共に『今四家絶句』を選輯(せんしふ)しました。  今四家とは市河寛斎、大窪詩仏、菊池五山、柏木如亭のことです。雲山は寛斎の門下です。  梁川星巌は西遊する... 続きをみる

    nice! 22
  • 北里歌 四 市河寛斎

     市河寛斎の北里歌は三十首ありますが、その四を紹介します。   四            四  銀燈院々暗残光     銀燈 院々 残光暗く  跡断春風響屧廊     跡は断ゆ 春風の響屧廊(きょうしょうろう)  雲雨枕頭宵撃柝     雲雨枕頭(うんうちんとう) 宵に柝(き)を撃ち  不教郎夢到... 続きをみる

    nice! 11
  • ゴキブリ コバエ 江戸の虫売り 虫籠

     ゴキブリ対策のためにコン〇ットの類似品を買って寝室とキッチンと洗面所に置きました。あの日以来見ていません。  同時にコバエ対策に〇―ス製薬の〇ポナをノートパソコンの脇に置きました。匂いはいいです。アクアソープの香り。  でもコバエには効きません。〇ポナの脇を何食わぬ顔でコバエが散歩しています。ヘ... 続きをみる

    nice! 16
  • 江戸時代の夏風物誌 扇風機

     さっきMXの番組宣伝でちらっと見たので検索してみました。出てきた出てきた。  大奥にはうちわの扇風機があったんです。  うちわの向きを変えて復元したもの、ですね。  江戸のスポーツドリンク  この絵は昭和初期の風鈴売りです。赤坂では昭和40年ごろコロンビアの狭い坂を下りたふもとで風鈴屋さんを見か... 続きをみる

    nice! 10
  • 鯔(出世魚:いな、ぼら)  柏木如亭

     柏木如亭の『詩本草』から「いな」を挙げます。   鯔(いな)  遊讃既に倦み、舟を買ひて備に回(かへ)る。時に十二月十五、天晴れ風静かにして、大小の諸島争ひて図画を献ず。  舟中復た一点の寒無し。乃(すなは)ち居停(きょてい)主人餽(おく)る所の鯔(いな)を焼いて晩食す。  その味奚(なん)ぞ止... 続きをみる

    nice! 7
  • 鴨東四時雑詞   中島棕隠

     中島棕隠の京都の風情を詠った詩です。  鴨東四時    鴨東四時雑詞(おうとうしじざつし)      其九十一             其の九十一  繊手鳴刀各慣忙       繊手 刀を鳴らして 各々忙に慣る  店頭菽乳照紅裳       店頭の菽乳(しゅくにゅう) 紅裳(こうしょう)を照す ... 続きをみる

    nice! 6
  • 武蔵野  亀田鵬斎

     亀田鵬斎は宝暦二年(1752)に江戸に生まれました。マリー・アントワネットより3歳上です。民間の儒者としては最も耳に親しい名前です。官僚にはならず、下町暮らしで酒好きだったそうです。  武蔵野という漢詩を挙げます。      武蔵野  荒原古道細如縄     荒原の古道 細きこと縄の如し  雲淡... 続きをみる

    nice! 10
  • 菜花 長ネギ 柚子味噌   館 柳湾

     館 柳湾は名は機、字は枢卿で、宝暦十二年(1762)新潟に生まれました。一生を幕府郡代の属史として過ごしました。  柳湾は謹直な官吏であったばかりでなくきわめて口数の少ない寡言の士でもあったらしいです。  詩集は三冊あって『柳湾漁唱』『柳湾漁唱ニ集』『柳湾漁唱三集』です。  晩年、江戸の目白台に... 続きをみる

    nice! 10
  • 晩に品川に帰る  大窪詩仏

     大窪詩仏の『卜居集』の中の「晩帰品川」を紹介します。    大窪詩仏  江戸品川高輪   晩帰品川      晩(くれ)に品川に帰る  烟霧高輪暮     烟霧(えんむ) 高輪の暮(くれ)   前途更渺茫     前途 更に渺茫(びょうぼう)たり  潮来呑欠岸     潮(うしお)来(きた)りて... 続きをみる

    nice! 6
  • 蕎麦  柏木如亭

     江戸のグルメ紀行本『詩本草』柏木如亭から紹介します。  蕎麦は信濃を以て第一と為す。その香味、他州の及ぶ可きに非ざるなり。嘗て書を墨坂大夫の後園に読む。厨下(ちゅうか)頻頻としてこれを供す。因て「蕎麦の歌」を作る。云はく、   江都(かうと)は人世の極楽国   口腹(こうふく)何を求めてか得べか... 続きをみる

    nice! 5
  • 六如上人の詩

     六如(りくにょ)は享保十九年(1734)に近江八幡に生まれた天台宗の学僧です。名は慈周、字は六如、苗字は苗村です。  「霜暁」という七絶を紹介します。    暁枕覚時霜半晞     暁枕(ぎょうちん)覚むる時 霜 半ば晞(かわ)く  滿窓晴日已熹微     満窓の晴日(せいじつ) 已に熹微(きび... 続きをみる

    nice! 6
  • 江馬細香の漢詩

     江馬細香の42歳の、文政十一年(1828)の作。    題竹  玉立湘江碧    玉立(ぎょくりつ)す 湘江(しょうこう)の碧(みどり)  逢人写数枝    人に逢いて 数枝(すうし)を写す  流伝如有後    流伝(るでん)せば 後有(のちあ)るが如し  不必恨無児    必ずしも児無きを恨(... 続きをみる

    nice! 7
  • 江戸漢詩 梁田蛻巌

     梁田蛻巌(やなだぜいがん:1672-1757)はバッハやヘンデルより13歳上の生まれです。荻生徂徠より6歳下です。享保年間の時代に活躍した格調派の漢詩人です。江戸生まれですが播磨明石藩の儒官となりました。当時としては珍しく86歳まで生きました。   小姑  小姑僅十三  彗情満嬌面  梨花深院窓... 続きをみる

    nice! 5
  • 江戸漢詩 頼山陽

     頼山陽は師菅茶山の建てた神辺の黄葉夕葉村舎で塾講師を受け持っていました。やがて飽き足らなくなって脱出します。京都への憧れがあったからです。 菅茶山 頼山陽  茶山は目をかけていた弟子に逃げられて悔しい気持ちがあったのでしょう。京都の都会生活に馴染みだした山陽の詩を「女郎詩」(お嬢さんの詩)と嘲る... 続きをみる

    nice! 4
  • 江戸漢詩 市河寛斎

     市河寛斎は寛延二年(1749)江戸に生まれました。ゲーテと同じ歳です。  江戸漢詩は江戸と言っても近畿、京阪、中国地方つまり西日本のほうが隆盛だったようです。江戸生まれの柏木如亭でさえ江戸は居心地が悪く京都で活動しました。  江戸(関東圏)では大田南畝や山東京伝など狂歌や戯作で目立つ人が多く、漢... 続きをみる

    nice! 5
  • 江戸の文人 大田南畝

     大田南畝は1749年生まれ、蔦屋重三郎は1750年生まれ、山東京伝は1761年生まれとほぼ同年代に生きた文人です。  TSUTAYAは蔦屋重三郎に関係ないとのことですが、あやかったそうです。  ちょっと上の世代に唐来三和1744年もしくは1749年、恋川春町1744年、木村蒹葭堂1736年、上田... 続きをみる

    nice! 4
  • 江戸女流画家平田玉蘊とその周辺

     平田玉蘊は天明七年(1787)に広島尾道の木綿問屋福岡屋の二女(長女は夭逝)として生まれました。  名は豊または章(あや)。4歳下に妹庸(=玉葆)がいます。  玉蘊は頼山陽の最初の恋人と思います。山陽は玉蘊に出会う前に結婚はしていました(梨影とは再婚)が、脱藩騒ぎで幽閉されて数年籠っていました。... 続きをみる

    nice! 3
  • 江戸漢詩 嵐山に遊ぶ

     頼山陽と江馬細香が男女の仲になったとされる嵐山での花見の詩を紹介します。  「武景文、細香と同じく、嵐山に遊び、旗亭に宿す」  山色稍暝花尚明  綺羅分路各歸城  詩人故擬落人後  呼燭渓亭聽水聲  擬=ぎ、なぞらふ  (読み下し文)  山色稍(やや)瞑(くら)くして、花尚(なお)明らかなり。 ... 続きをみる

    nice! 3
  • 江戸漢詩 美人の半面

     秋山玉山(1702-1763)の漢詩を紹介します。  美人の顔半分が見えたという詩です。  無題        秋山玉山  美人下空階  猶掩氷紈扇  忽被軽風吹  容易見半面  五言絶句です。  韻は扇と面です(去声十七霰)。一句めは韻を踏みません。三句めは転句です。 「読み下し文」  美人 ... 続きをみる

    nice! 7
  • 江戸漢詩の吉原

     江戸漢詩の中でわりとやわらかめの吉原の風景の詩を見つけました。市河寛斎の「北里歌」です。北里とは吉原遊郭のことです。  もともと中国で竹枝というのが男女の情事を詠じたものでしたが、江戸の後期にも竹枝は試みられるようになって『日本竹枝詞集』が編纂されました。寛斎の「北里歌」も含まれています。  (... 続きをみる

    nice! 5
  • 色っぽい江戸の女流漢詩

     色っぽい漢詩を紹介します。先に現代語訳から、    酔美人が夜明けに、悄然と寝室を脱け出て庭に立つ。高い梢のうえの月が、寝乱れた化粧の顔を照らす。花に置く露をすすって、酔を醒まそうとすると、一面の薔薇の匂いに、更に酔ってしまう。  蓮歩悄トシテ移シテ、暁房ヲ離ル。高悄ノ落月、慵粧ヲ照ラス。花辺ニ... 続きをみる

    nice! 3
  • 小唄 端唄

     小唄で一番色っぽい歌い手は下谷小つるだと思います。うちに「江戸女ごよみ」というレコードがありますが、ジャケットの写真は超美人です。歌声は婀娜っぽく、それでいて品のある、素晴らしい声です。特に男性は歌声を聴いただけでメロメロになること請け合いです。 「俗曲」しょんがえ節 梅は咲いたか/下谷小つる ... 続きをみる

    nice! 3
  • 小唄を聴きながら

     世田谷に住んでいたころ、小唄を好んで聴いていた時期がありました。  小石川図書館で見つけた春日とよのレコードを聴いてずいぶんシブい世界があるもんだと驚いたものです。  小唄といっても粋とかそういうことよりも渋みが強い傾向です。心にジンジンと響きました。  三味線は自ら弾いたものもあったかもしれま... 続きをみる

    nice! 1
  • 江戸小噺 娑婆以来

     江戸の小噺に露休置土産(ろきゅうおきみやげ)というのがあるそうで、露の五郎兵衛という人が作った落語の一種だそうです。うろ覚えなので間違っていたらすみません。  ある男が遊郭の遊女を誘って心中をもちかけた。川のほとりに来たけれどなかなか決心がつかない。男は遊女に先に飛び込んでくれと言った。遊女も、... 続きをみる

    nice! 4