昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

赤坂六地蔵尊の思い出

 一ツ木通りの真ん中へんに六地蔵尊があります。奥は浄土寺になっていて付設の幼稚園がありました。妹はここの幼稚園に通っていました。「ののさまにあげましょきれいなお水、ののさまにあげましょきれいなお花」という歌があったのを憶えています。



 ここの境内で三角ベースをやったり缶けりをやったりしました。三角ベースのときに、一ツ木通りから路地を入った新町の酒屋の息子が加わったことがあります。


 缶けりをやっていて、名前を呼んでも出てこないことがあって、それはルール違反なので、怒ってそのまま裏木戸から出て帰ってしまったことがあります。


 境内は自転車に乗っている小中学生の集合場所でもありました。


 2B弾で遊んだこともありました。子どもは意味なくパンッ!パンッ!という破裂音を楽しむものですね。火薬の匂いも子どもを刺激します。さすがにカエルの尻に差して云々は見たことがありません。

 それにしても浄土寺の住職さんやお坊さんは寛容だったということですね。


 数年前ここの境内で盆踊り大会がありました。最近もやってるかもしれません。

七五三

 昭和32年の11月は七五三でぼくは3歳でしたので、親戚のHさんのおうちに遊びに行きました。


 Hさんのおうちは本郷にありました。長男Kちゃんと次男Sちゃんは従兄に当たります。Kちゃんはちょうど7歳でSちゃんは4歳でした。


 彼らのお父さん、つまり伯父ですが、カメラの趣味があってこの時も写りの良い記念写真が残っています。たぶんブローニー版だったと思います。白黒ですからちょうど成瀬己喜男の映画のようにトーンのキレイな写真です。伯父さんは戦時中シベリアで抑留されていました。


 ぼくはベレー帽をかぶって黒いヴェルヴェット生地の上っ張りに厚地のズボン姿でした。記念写真を見ると母がげっそり痩せています。おそらく嫁姑の問題があったのだと思います。


 Kちゃんは小学1年生です。制服ではありませんが、上下のスーツのようなパリッとした格好です。 伯父さんはSちゃんにもカメラを向けます。ぼくは少し離れたところに立っていましたが、顔を斜めに出してSちゃんと一緒に写るようにしました。その瞬間のことは57年経っても昨日のように憶えています。


 伯父さんはSちゃんを撮りたい、ぼくはぼくで一緒に写りたい、だけど露骨にSちゃんのところに駆け寄っては伯父さんの意図にそぐわないだろう、と瞬間思ったので遠慮気味に顔を出したつもりです。写真を見てみると、Sちゃんはソッポを向いていて、その横に顔を斜めに出したぼくもちゃんと写っていました。


 Sちゃんはハンチング帽をかぶっていました。このころはまだハンチングが普通に流行っていたんだと思います。月光仮面(昭和33~34年)の悪役にもハンチングの由というのがいました。

実写版ヒーローたち

 「少年ジェット」の「ウーヤーター」は真似をしたことがあります。雷や嵐が巻き起こったらどうしようと思いながらやっていました。迷探偵の屯田もん太役の人は何か円満な顔をしていて記憶に残っていました。大映の役者さんなんですね。


 「まぼろし探偵」には吉永小百合が出ていましたが当時は全く知りませんでした。進クンの顔もほとんど忘れていました。まぼろし探偵はお面とピストルを買ってもらい部屋で自己満足に楽しんでいました。


 「アラーの使者」はかっこいいと思っていましたね。アラーって言葉の響きが幻惑的な印象でした。



天馬天平とは?



 時代劇系は「天馬天平」と「矢車剣之助」がお気に入りでした。天馬天平は本当に憧れました。時代劇はあまり馴染みがないのですが、これだけは別格です。街道の風景とかもう一度見たいです。天馬天平はDVDになっていないですね。七色仮面と共にリクエストしたいヒーローです。

ナショナル・キッド

 ナショナル・キッドに出てくる少年たちはほとんど団塊の世代だと思います。最年少の子でもぼくより1歳上のように記憶しています。

ナショナルキッドシーズン別オープニング集


 当時はチャコ姉ちゃんが太地喜和子だなんてもちろん知りません。志村妙子の名前も記憶に無かったです。
 それよりも悪役の人たちがインパクトありました。宇宙船の中はああなってるんだなぁと思っていました。本間千代子も出ていましたね。


 七色仮面もインパクトありありでした。あの仏像みたいな仮面にパイナップルが載っているような様は理解に苦しみました。ですが、大人になって改めて見ると月光仮面より凝ったストーリーです。
 中の人が千葉真一に変わったとき子どもでも違和感を覚えました。身体が敏捷すぎると思ったのです。

少年マガジン

 少年マガジンは発売日より数日遅れで一ツ木通りの古本屋で買っていました。40円が30円に値下がりするだけで、自分では倹約しているつもりでした。
 ちばてつやの「ちかいの魔球」とか「紫電改のタカ」、桑田次郎の「8マン」が楽しみでした。「ちかいの魔球」は消える魔球の原理を説明するためのエピソードとして、河魚をモリで突くと魚は一瞬で逃げる、それがちょうど消えたように見える、という例を挙げて説明しているのですが、それがとても印象的でした。
 「紫電改のタカ」も特攻隊で主人公が飛び立つときに母親と妹がおはぎを作るラストシーンがあります。それが子ども心にじーんと来ました。
 「8マン」はテレビ放映された翌日はクラスでその話にもちきりでした。下敷きをビャッとさせて8マンが走る音を真似したりしました。ハッサンの家に遊びに行くとソノシートで主題歌を聴かせてくれました。