昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

「ダイヤル110番」


ダイヤル110番


 昭和32年から昭和39年まで「ダイヤル110番」というドラマが放映されていました。冒頭「こちら110番!」が印象的でした。


 表町の家で、3~4歳のぼくは受話器を取って試しに「110」番を回してみました。


 予想どおり、もっともぼく本人にとっては意外でしたが「こちら110番、どうされましたか?」の答えが返ってきました。びっくりしたぼくはそれでも「ちょっと待ってください」と言って、母親に代わりました。


 母はしきりに謝っていました。母は電話を切ってから、


「ほ~ら、今、警察が来るよ~」


 と、脅すような言い方をしました。(失敗したーぁ)と心の中で後悔しました。まだ反省するには幼すぎたのです。


 そうしたら本当に「ウウ~」とサイレンを鳴らしてパトカーが近所まで来ました。そのあとのことは覚えていません。

「女は夜化粧する」

 昭和36年の「女は夜化粧する」という映画があります。


 山本富士子は元新劇女優でギター芸者として赤坂芸者の世界に身を投じます。森雅之は大手建設会社の重役ですが、赤坂のナイトクラブ「ゴールデン・ダイス」のママにギター芸者の山本を起用します。


 家賃は200万円とセリフにあります。年間100着の着物代、帯、履物代に300万円出してくれと山本から森への要請がありました。1日の売り上げのノルマは50万円と言っていました。


 判りませんが当時の貨幣価値と現在の相場を考えるとざっと20倍でしょうか?
 映画には「K龍」らしき看板が映ります。ナイトクラブの映像はセットだと思いますが、昭和36年の10月に「ミカド」は開店しています。


 永田町の「ニューラテンクォーター」は昭和34年開店だったと記憶しています。
 キャバレー「〇世〇」はいつか判りません。祖母に聞いた話では〇世〇の土地は昔お寺だったということです。


 映画の中では赤坂芸者が嫉妬深く演出されていますが、実際はちがうのではないかと。もちろん映画のストーリー上の演出なのですが、実際はお人好しな芸者さんが多いのではと素人目にも映ります。

「億万長者」

 昭和29年の「億万長者」という映画があります。


 赤坂の芸者役が山田五十鈴、永田町の議事堂が見える空き地で訓練する警察予備隊(自衛隊)、それを見ている近所のバラックに住む子どもたち、その子どもたちの「演劇かぶれのおにいちゃん(岡田英次)はちょっと共産党だね」というセリフがあります。ちなみに永田町には「長寿湯」という銭湯があったという設定です。


 バラックの二階で原爆を作る娘は久我美子、飛行機の爆音を聞くと空襲を想い出して身を隠す税務署員は木村功が演じています。久我は広島で親兄弟を失くしたショックで原爆を作っているという設定です。


 雨が降ってくるとみんな逃げ出すのですが、この年ビキニ環礁で水爆実験が行われて放射能が雨に混ざっている、とのこと。


 税務署長役は加藤嘉(山田五十鈴の元夫)、政治家は伊藤雄之助が演じています。赤坂の料亭は「K龍」らしきところが写ります。税務署員の木村は脱税名簿を放ったらかしにして赤坂見附の交差点でヘタり込んでしまいます。山田五十鈴と加藤嘉の口争いのシーンもあります。


 政治家(伊藤)は芸者(山田)を辞めて所帯を持とうと言い寄ります。これは実は汚職の隠ぺいでした。


 昭和27年には再軍備反対のデモがありました。29年には水爆実験がありいきおい反戦のムードは高まったようです。映画はシニカルな喜劇仕立てです。

赤坂見附の立体交差

 赤坂見附の立体交差のところは昭和30年代までは三角形の植え込みみたいになっていたと思います。都電も走っていました。都電の写真集とか見るとだいたいこのあたりは撮影スポットになっているようです。



 昭和27年の映画「カルメン純情す」にはオープンカーでこの交差点を走り渡る場面があります。主演の高峰秀子を乗せて男性芸術家が運転するかっこいいオープンカーです。モノクロ映画ですが、レンタルなどでご覧になってみてください。

カルメン純情す(予告)



 弁慶橋の先のホテルニューオータニも昭和39年の9月開業ですからオリンピック観戦客が対象でしたし、都電廃止や青山通り拡幅も昭和38年ごろでオリンピックにぎりぎり間に合わせた感がありますね。


 富士見坂の途中にある陸橋は中学に通うときに使っていました。


 首都高ははっきり昭和何年と書けませんが、60年代ポップスの園まりのシングル盤のジャケットに使われたり、1972年のタルコフスキー映画「惑星ソラリス」にも登場します。

Solaris Full Highway Scene


尿意との戦い

 台町のころです。何かの拍子でクラスの違う女子と一緒に歩いて帰るハメになったのです。可愛い子でした。のちに中学の数学の授業を受けるS先生のお嬢さんでした。台町に住んでいると言うので二人並んで帰ったのです。
 道中無言な感じだったと思います。小学生でクラスが違うし初対面です。それにぼくはうすうす尿意を感じていたのです。なぜか赤坂見附のところからT文具店の前を通り牛鳴坂を通ったかどうか、うろ覚えですが、もしかすると「とらや」の前を通って薬研坂を下りたかもしれません。いつもとルートが全然違います。
 尿意と戦うぼくにとって彼女と談笑する余裕など微塵もありません。薬研坂を下りて上って、コロンビアの向かいあたりからどうにも我慢できない状況に陥りました。もううちは数十メートル先に見えます。
 ぼくは踵を返して後方に走りました。尿意をまぎらわすためです。彼女はうちのほうに向かうも訝しげにぼくをふり返ります。
 すると、うちの玄関から母が出てきました。なぜ母がそのタイミングで出て来たか未だにわかりませんが、学校からSさんと一緒に帰ったと連絡でもあったのかもしれません。ぼくは尿意を我慢するのにいっぱいいっぱいでした。
 母とSさんは言葉を交わしているようでした。ぼくは意を決して玄関に向かってダッシュしました。Sさんとさよならも言わず家の中に飛び込みました。母にしてみれば可愛い女の子と帰ってきたので照れているんだろうと思ったかもしれません。でも事実は全然違うのです。
 Sさんの家は三分坂を下りて路地を入っていったところにあると何年も経ってから知りました。