昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

新洗剤開発

 表町のうちで新発明に現をぬかしていました。裏木戸から入った家の通路には洗濯機と流しがありました。そこで2、3時間新型の洗剤開発に熱中しました。
 夕方になって暗くなるまで妙に打ち込んだもようです。新クロペットと名付けて新洗剤を開発したのです。
 何のことはない、いくつか洗剤を混ぜて自分で開発した気分に浸っていただけです。外にある洗面所で良かったと思います。今だっら混ぜるな危険状態だったかもしれません。
 なぜそんなことに男子のぼくが熱中したのか判りません。ぶつぶつ独り言を言いながら悦に入っていました。
 よっぽど暇だったのでしょう。気候も良かったのかもしれません。

表町周辺の有名人

 表町の周辺は歩いて1分以内に高橋是清公園がありました。近所には銀幕女優の細川ちか子も住んでいたようです。
 それと間違えやすいのは細川様の別邸があったそうで、細川様というと目白あたりを連想しますが、本宅ではなく赤坂のほうは別邸です。表町のお邸には久邇宮さまも遊びに来ていたそうです。これは母方の祖母が母に語ったことですが、祖母が大正年間に女官をしていたということで、そのことも祖母が病気で斃れるまで聞いたことがなかったので、母もびっくりしました。
 それから表町には作家の吉川英治の邸もありました。これは直接見たわけではなく、吉川英治の息子さんが本に書いているのです。借家時代も表町に住んだことがあるそうで、一旦郊外に住み、後年表町に正式な邸を構えました。
 確かではないですが、作家の舟橋聖一の家もあったと聞いたことがあります。それと日本舞踊の花柳寿南海さんも近所でよく見かけたと母に聞いたことがあります。

8マンのシール

 台町の家を売る際、惜しいと思ったのは、8マンのシールでした。自分の部屋のすりガラスにベタベタと貼っていた8マンのシールは剥がすことは無理でした。剥がしたらシワシワになって値打ちが無くなってしまいます。丸美屋のふりかけをこつこつと買って集めたシールです。


 これは4年ぐらい前にリバイバルしていました。のりたま発売50周年のレトロ記念発売で「のりたま」「是はうまい」「チズハム」と三種類入ったパッケージのふりかけを発売しました。


 確かローソンあたりで大人買いした覚えがあります。ぼく個人の好みで言えば「すきやき」ふりかけが含まれていればもっと大量に買ったと思います。



 ぼくの部屋には王貞治選手のサイン入りポスター、これは少年マガジンの応募でもらったもので、たぶんもれなくもらえたポスターだったと思います。


 タンスの上に飾っていたプラモデル、ゼロ戦、飛燕、スピットファイアーなどなど。


 百科事典のページに挟んだ外人女性のヌード写真。これは事典ごと引っ越し荷物に混ざっていたと思います。

父の浮気でモメたこと

 台町のころ、父がTという女性と浮気したことが発覚しました。Tは表町の2階に間借りしていた洋裁学校の講師です。実家は三田の札の辻です。Tは昭和5年生まれの午年でした。これは以前も書きました。
 台町の居間で夕飯を食べている時です。祖母が父のYシャツを洋服ダンスから取り出しビリビリに破りました。いや、母や妹の記憶ではハサミでビリビリ切り刻んだそうです。その話は何十年も昔から聞かされてきました。ですが、ぼく自身は全然覚えていないのです。なぜ覚えていないのか、と言うよりその場面に居合わせたことも知りませんでした。
 最近妹から聞いてびっくりしたのは、ぼくはバリアを張っていたそうです。祖母がYシャツをビリビリ破っている時も、ぼくは自分に関係ないとばかりにご飯を一生懸命食べていたそうです。それがまるでバリアを張っているように見えたのかもしれない。ぼくの記憶から消去されているということは実際そうだったんだろうと思います。
 祖母がなぜ父のYシャツをビリビリにしたか、というと、会社に出勤できないようにです。会社を休めば社長さんから問われます。実はこれこれと白日の下に晒したかったのでしょう。
 母とぼくは一度社長の自宅を訪ねています。父の浮気の問題を相談するためです。帰りに社長は自宅の居間にあった『二宮金次郎物語』と『中国むかし物語』をプレゼントしてくれました。それがきっかけでぼくは本に熱中し出したのです。

交通事故目撃

 N小学校の1年生のころです。同じクラスのOクンが横断歩道で自動車に撥ねられました。Oクンは銀座の商店の息子さんです。
 事故の現場をぼくは見ていました。横断歩道は学校の目の前にありました。学校の敷地内に三角のスペースがあり小便小僧がありました。その目の前に横断歩道があり、Oクンとかぼくとか何人かで信号が変わるのを待っていました。
 なぜか判りませんが、Oクンはひどく急いでいました。信号が変わるかどうかという時に右から来た自動車が通り過ぎるのも待てず飛び出したのです。スピードは緩くなってはいたものの、子どもが自動車に体当たりしたみたいにぶつかったのです。目の前で起きたことにショックを受けました。ショックでしたが、ぼくらにどうこうする手立てはありません。小学1年生に警察を呼ぶとかの知恵は働きませんでした。
 撥ねられて顔面蒼白になっているOクンをよそにぼくは横断歩道を渡りました。当然Oクンは翌日から学校を休みました。休んでいた期間が数か月なのか数年なのか思い出せません。
 久しぶりにOクンが登校してきた時にはまるまると太っていました。1年生の時には痩せて小柄だったのでびっくりしました。
 ある日Oクンと同級生のWクンがけんかになったので、堪り兼ねた担任のF先生は二人っきりでけんかをしなさいと、教室の真ん中を空けて周りを椅子で囲むようにみんなで腰かけ直しました。つかみ合いのけんかの試合は10分か15分ぐらいだったと思います。結果はOクンの勝ちです。Oクンは太って大柄になり力も強くなっていたのだと思います。Wクンは自分が負けると思っていなかったのでかなりショックを受けている様子でした。Wクンは大人になって有名な出版社の編集長になりました。
 Oクンは大人になって銀座のデパートに実家の店舗の商品を担当する人になったようです。