笋(たけのこ) 柏木如亭
柏木如亭の『詩本草』から「笋」(たけのこ)についてのエッセイを紹介します。
笋
村居(そんきょ)自(おの)づから山を看る福有り
又た喜ぶ 今朝野珍を嘗(な)むるを
屋外の霜筠(さうゐん) 犢角(とくかく)を生ず
雪天 時新と称するを屑(いさぎよし)とせず
(もと漢詩)
此れ紫雲山二十絶の中、「冬至に笋を食ふ」の首(はじめ)なり。笋は至新を要(もと)む。旋(すみや)かに劚(ほ)り旋かに烹(に)る者に非ざれば、甘香(かんかう)無し。嘗試(こころ)みにこれを以て客に供す。客皆な奇賞す。
これを担頭(たんとう)半日の春風売菜傭(ばいさいよう)に随ひて街巷(がいかう)に来(きた)る者に較(くら)ぶれば、何ぞ啻(ただ)に天淵(てんえん)のみならんや。
(もと漢文)
霜筠=竹
犢角=小牛の角。筍(たけのこ)の比喩。
紫雲山二十絶=如亭は晩年京都黒谷の一廃寺に仮寓しそれを紫雲山居と呼んでいた。そこで絶句二十首を詠んだとするもの。
劚=鍬で掘って切る。
売菜傭=雇われて野菜を売り歩く人。
街巷=街道里巷。街はまっすぐな道、巷は狭く曲がった道。
何啻=反語。どうして単に・・・だけであろうか。
天淵=天と地の差。
この段落が影響を受けたものとして清の文人李漁の『閑情偶奇』が考えられます。
(参考:岩波書店)