昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

足利紡績

 8、9年前、足利の街を散策しました。目的は足利紡績の跡地を見ておきたかったのです。
 一通り足利の街を散策しました。足利学校とか鑁阿寺(ばんなじ)とかです。


 足利に行く前に野州山辺駅まで行って足利紡績跡地を探しました。というのも事前に足利紡績で検索したところ、あるサイトで野州山辺駅にあると記述があったからです。

 ところが実際ホームに降りてみて、一望できるのは巨大パチンコ店だけ。


 ちょうど足利紡績跡地と思しき地帯は広大な駐車場と店舗しか見当たりません。


 それで半ば諦めて、ついでに観光のノリで足利の街を廻ったわけです。日帰りだったか一泊したかも思い出せません。


 記憶があいまいですが、足利紡績の記念館とかそういうのがパンフレットにあったので、タクシーで行くことにしたのです。


 運転手さんに、祖母が足利紡績に大正八年に勤め始めたと告げたところ、ちょうど足利紡績が盛んな年代ですね、と返ってきました。祖母は女学校を出ていたので出納係で勤めていました。


 野州山辺駅へ行ったら空っぽで見つけられませんでしたと話しましたら、「実は福居という駅前にあるんですよ」と返ってきました。


 何でも足利紡績跡地は陸軍中野学校の管轄になって所在が隠されて、おそらくネット上の情報は隠ぺいされた偽情報だろうと。ホントは福居にあるんですよ、という話でした。


 へえ、どこですか、その福居って。と訊いて在来線(私鉄だったか失念しました)の二駅めということなので行ってみようと思いました。

 (浅草から両毛線が出ていたかどうか不確かですが、東武伊勢崎線は出ていたような気がします。だとすると東武伊勢崎線で野州山辺駅へ行って足利市駅に戻ったと思います。それで帰りに福居駅に寄ったような気がしてきました)



 福居駅行ってみました。


 ありました。トチセンという社名で古い大正時代のレンガ作りの工場です。


 改札口の外に出て、駅前にあるトチセンを白黒フィルムが入ったクラカメ(蛇腹のクラシックカメラ)で撮りました。駅に戻ってホームの端からも撮りました。


 クラカメで撮った写真はあります。業者に依頼してCDにしてもらったりは出来ますが、ネット上にアップする技術がわからないので、ネット上で画像を拾ってくるしかないのです。


 史跡足利学校で買った『論語抄』の小冊子が本棚にあります。この本の編集人が須永美知夫氏とあるのでもしかしたら幻想文学研究者の須永朝彦の親類かもしれないです。

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