昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

少年ブーバーの馬との出会いの体験

 ドイツのユダヤ系学者マルティン・ブーバーの少年時代の体験について山口一郎氏が論じた文章を抜粋してみます。


 ブーバーは11歳の少年のころ、祖父母の経営する農園で夏休みを過ごしました。そのときのエピソードは自分とは全く違った「汝」に触れる体験として大人になって何回となくふり返られ文章にされました。

 少年は馬小屋にこっそり忍び込み、自分の好きな馬のたてがみを撫でたのです。
 それは少年にとって親密なそしてどきどきするような出来事でした。撫でるとき、手の平にまるで生命そのものが脈動しているような生命のエレメントを感じ、「私ではないもの、実に他者それ自体であるもの」に触れていると感じました。しかも馬も自分が撫でるごとに頭をゆったりもたげながら応じてくれ、後のブーバーの言葉では、「お互いに汝として触れあい、語り合っていた」と思えたというのでした。


 ところが、あるとき「馬を撫でているうちに私はふと何とそれが私を興がらせてくれることだろうかと思った、・・・すると私は突然、私の手を感じたのだ」と言うのです。
 その後、同じように馬のたてがみを撫でるのですが、もう触れ合うという「あの出来事」は生ぜず、馬も自分が撫でることに応じてはくれませんでした。ブーバーは自分の馬に対する裏切りが裁かれたように感じた、と後で記すことになります。
 
 このエピソードの内容をよく考えてみましょう。おそらく動物に触れるという経験はよくあることかもしれません。好きなペットとの生き物同士の触れあいが、このようなエピソードに語られること自体、共感を覚える方も多くいらっしゃると思います。そのとき「汝」として触れあっている」「互いに私ではない本物の相手(「他者の他者性」とブーバーは言います)に出会っている」という表現をすっきり受け取ることができるのでしょう。しかし、もし「本当かな」といった違和感を覚える人がいるとすれば、それはきっと「触れあい」が触れあいでなくなったこと、触れあいが崩れて、裏切ってしまったとブーバーが言う経験の方が強く心に残っている人の感想ではないでしょうか。どういうことかと言うと、私たちは普段何かに触っているとき、「自分(私)の手が何かに触れて、快・不快を感じている」と思って触っています。この自分が馬に触っているのは当たり前であり、そのとき私が何かを感じているのだ、と私たちは思っています。
 
 しかし、11歳の少年が馬を初めに撫でていたとき、ただただ触れていただけでした。触れている自分の手を感じた(思った、意識した)のは「これって何て面白いんだろう」と自分の感じに気づいた瞬間、自分の感じを振り返って意識し、反省した瞬間でした。「ただただ触れていた」というとき、もちろん感じることそのものはありました。それをブーバーは「私でないもの、他者の他者性」を直接、手の平に感じたとふり返っているのです。
 では「手の平に感じる他者そのもの」と、振り返って感じた「私にとっての面白さ」とは同じく感じ、つまり触れたときの触覚ではないのでしょうか。「脈動する生命の原案」も「面白さ」も同じく触って感じる何かなのではないでしょうか。どうして一方が「汝との触れあい」になり、片方が「相手を裏切る」ことになるのでしょうか。そもそも感じ方に二通りの違いがあるのでしょうか。


 一方は、触れあいを通して(もちろん馬のほうは触れるということがなく、少年が触れることで)お互いを生命として認め合っているのに対して、片方では、「面白さを感じる自分と、その自分の手を感じた」と言われています。ということは触れあいのときは、自分の手を感じることなく、お互いの汝を感じていた、共に感じるのですから「共感」が生じていたということになります。感じる自分の手に気づかずに、また意識せずに、触れるということが起こりうるということになります。「自然に触れていた」とか「なんとなく触れていた」とか触れるということが起こった後に、触れている自分の手に気づくと言っていいのでしょうか。


 他方、普通何かに触れるとき、自分が自分の手で触れることは当たり前で、触れるときには自分ではなくても誰かが触れていることは当然ではないでしょうか。デカルトが「われ思うゆえにわれ有り」と言っているとき、その「思う」ということには、感じること、感覚することも含まれています。何かを感じるときには感じる「誰か」がいると言うのです。
 私が何かを感じるときには、感じているのは、私であるという当たり前のこと、思わず店のきれいなガラスの花に手が伸びてしまい、落として割ってしまったとき、そのことに責任を取るのは、触った私なのであり、そうしなければ社会生活は成り立ちません。





       (参考:みすず書房、日本評論社)


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